機甲兵団J-PHOENIX

<Twin Devils and Flame>





 

 心音……

 心の内から響く音。

 他の誰にも聞こえることのない、自分だけの音。

 

 故にそれは自分にしかわかる事のない孤独の旋律…………



 

 Stage02 〜Blaze Beat〜









 

 エンとユイ、マイの二人との戦いから既に四日。空腹に耐えながら(主にエンだけだが)の行軍の結果3人はどうにか町に着くことができた。

 その空腹を埋めるために、今彼等は適当な店を探している最中だ。

「やっとまともな飯が食べれるよ」

 金を払うのは当然エンだ、他の二人は今金を持っていない。予定外の出費の原因を恨みがましい目で見ているが、当の本人は気付いてもいない。

「金銭的な問題なら、あとで返済してあげるわ」

 妹の代わりに視線に気付いたユイがありがたいことを言ってくれるが、エンはあまり期待していない。返す金を揃えたときにいったいどこで返す気なのだろう?

 金のことは完全に諦めつつ歩いて手ごろな店を見つけたエンは、扉を開けようとして回れ右をした。

「どうしたんだよ、早く入ろうぜ」

 せっかく食事ができると思っていたのに水を差されてマイが不機嫌そうに言うが、何かを察したユイはその原因を訊いた。

「何か問題でも?」

「ああ、そうだよ。理解が早くて助かる」

「なら早く解決してきたら? 私達は先に食べているから」

「前言撤回だ。全然理解していない」

「いったい何なんだよ、イライラするなぁ」

「おまえらの格好だよ」

 二人とも自分の姿を見直し、次に周りの人々と見比べ不思議そうな顔をしている。

「何か問題が?」

「そんな格好で入って、無用な緊迫感を生みたくないんだよ。俺は」

 パイロットスーツ姿の二人と全身白装束のエン、目立たないわけがない。さっきから周りの視線を独占し、半径5m以内には誰も近づこうとしてこない。

「細かいこと気にするやつだな」

「くだらない(いさか)いを起こすくらいなら、細かいことを気にしたほうがマシだ。服は俺の払いでいいから飯は待て」









 

 で、エン達は適当に見つけた服屋に入ったのだが、

「今度はこれなんかどうです? あっ、でもこっちのほうがいいかも!!」

 来店から既に約一時間、二人のことを一目で気に入った店員が着せ替え人形よろしく服をとっかえひっかえしてなかなか服が決まってくれない。

 始まって三分でキレかけてたマイも今では拳を握る気力さえ失い、ユイの方はなすがままになっている。

「…………俺、いいかげんかなり腹が減ったんで先に食ってきていいか?」

「ざけんな。あたいたちが食えないのに何であんただけ食おうとしてんだよ、大人しく待っていやがれ」

「…………だろうな」

 エンは盛大な溜息をつくとユイに新しい服を持っていこうとしている店員を呼び止める。エンの姿を目にとめた店員は一瞬目を見開いて驚いたようだったがすぐに営業スマイルを顔に貼り付け対応した。

 そのことに今度は逆にエンの方が驚かされた。

 彼はいつもならこういった相手には怯えた態度を取られていたのだが、今目の前にいる店員は全くそんな様子がうかがえない。もちろんその笑顔の下に怯えを隠しているとも考えられるのだが、少なくともエンにはそのようには見えなかった。

「どうかなさいましたか?」

 呼び止められたものの、何も言わないエンをどう思ったのか店員のほうから話しかけてくる。

「あ、いや、以外に怯えないものなんだなと。普段ない対応に少し驚いて……」

「?」

 相変わらず平気な顔をしている相手にわけのわからないことを言って、少し混乱させてしまってる。今までにない状況のためかエン本人はますます混乱していった。怯えられ、恐れられ、忌み嫌われることが彼の通常で、普通の人として接せられるのは彼にとっての異常だった。

「あっ、確かに真っ白ですもんね。肌の色だけじゃなくて服まで真っ白だったらビックリする人も結構いるかもしれませんね」

 そんなエンの目の前には、しばらく考えてからようやく納得したような顔で、どこか間違った認識をしている店員がいた。

「でも別に気にするようなことじゃないと思いますけど? 肌が白いのなんて、黒人の方の逆バージョンって考えれば自然なことだと思いますよ?」

 何気なく言う店員にさらにエンは驚かされる。そのことを自然と受け入れることができないからエンは化物と呼ばれ続けてきたのだから。

「えっと……それでご用件のほうは何でしょうか?」

 危うく忘れそうになっていた本題を切り出してくれた店員に心の中で感謝する。このままでは驚きに流されて完全に忘れてしまうところだった。ちらりと横目で二人の様子を確認しつつ、なるべく婉曲な言い方で早く服を決めてやってくれないかと伝えると、店員は見ててこっちが申し訳ないと思うほど恐縮してしまった。

 もっとも、エンはまるで気にしていないようだったが。





 

「そういえばあの二人に対しても全然驚かないんだな」

 今度はいちいち着せ替えることなく服を見繕っていく店員と、選ばれた服のサイズのチェックをしている二人を見比べながらエンが問いかけた。一目見た瞬間から尋常じゃない目の輝き方をしていたが、いくらなんでもヴァリムのパイロットスーツに気付かないということはないだろう。見た目のインパクトの強さで言えばエンの全身白装束といい勝負だ。

「あ、それでしたら単に私の恋人もヴァリムのパイロットだから見慣れているというだけですよ。一応この街周辺の警護任務についてますから週に何度かはパイロットスーツ姿を見ますから」

 この街ではヴァリムのパイロットスーツは別に珍しくないですね。と付け足して作業に戻る。だとすると今エンのしていることは無駄なことになるのだろうか? いやいや、珍しくないとは言っても目を引かないわけじゃない。少なくとも『三人の異様な連中』から『白装束の変な奴』までは注目度を下げることはできるだろうと頭の中で言い訳する。





 

 結局、三着ずつまで絞ってまだ決まりそうになかったために計六着買って三人は店を出た。六着全てが一般的なものより割高だったためか、店員が苦笑いを浮かべながらも申し訳なさそうな顔をして見送ったのが印象的ではあったが…………、

 目下、三人の意識は遅くなった昼食のみに注がれていた。

 

 なお、余談ではあるがパイロットスーツから一般的な服に着替えた二人はお世辞を抜きにしても完璧に美少女である。結果周りの人間の三人に対する評価は『三人の異様な連中』から『美少女二人を連れた白い奴』に変わり、誰も近寄ろうとはしないということはなくなったが、注目度で言えば着替える前とさほど変わりなかったりする。









 

「で、これからどうするつもりなの?」

 三人が注文を終えるとユイがエンを見て口を開く。場所は最初に入ろうとした店、時間が結構ズレたので店内は割と空いている。

 これからどうするか――それはつまり、二人の処遇という事だ。今すぐに決めなければならないというわけではないが、いつまでも先延ばしにできる問題でもない。
 選択肢はいくつかある。

 一、アルサレアに二人を突き出して報酬を貰う。
 二、ヴァリムに二人を帰して報酬を貰う。
 三、ミラムーンに二人を突き出して報酬を貰う。
 四、しばらく様子を見る。
 五、二人をここで捨てていく。

 だが一と二は論外、アルサレアには裏のある任務を受けたばかりでヴァリムにいたっては試作機の強奪をしでかしたばかりだ。どちらもしばらく厄介になりたくない。いや、なるべきではない。
 ならミラムーンは? これもあまりよくない。なにより後のことを考えると一番やっかいなことになりそうだ。アルサレアとヴァリムの対立で済んでいる今の状況が、アルサレア、ヴァリム、ミラムーンの三竦(さんすく)みになりかねない。
 四は要するに現状維持、結局問題の先延ばしに他ならないし、五なんかは何のために面倒なことまでして連れてきたのかわからない。

「黙ってないで答えてほしいのだけど?」

 いつまで経っても返事をしないエンに痺れを切らしユイが促す。エンとしてはそれほど長く考えていなかったつもりだが、コップの中の氷は出されたときに比べ半分ぐらいの大きさになっている。

「…………どうしてほしい?」

 一人で考えたところでいい選択肢が浮かぶとも思えなかったのか二人に問いかける。ユイはその意外な事に少なからず驚いているようだったが、マイは近くのテーブルの上にある料理を見て「あれもうまそうだなー」とか言っている。最初から話を聞く気がないらしい。

「意見を述べたところで結果が変わるの?」

「意見にもよる。変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。少なくとも参照にはする」

「そう…………ならしばらくの間身を隠すといったとこかしら」

 ユイの返答にエンが少し意外そうな顔をする。エンはてっきりヴァリムに帰せとと言うと思っていたらしく、それに対してユイは、

「任務に失敗したあげく敵に捕まって、しかもその敵に帰されたのでは私たちの立つ瀬がないのよ。私たちは『人の形をした兵器(マンマシン)』役に立たなければ…………」

 そこから先は言う必要はないだろうと口を止める。確かにユイの言うとおりだ。彼女たちが『兵器』として扱われているなら、その価値は戦場で決められる。そしてその戦場での結果が(かんば)しくなければどうなるかなど想像に(かた)くない。

「だそうだが、お前は?」

 エンがマイの意見も訊いておこうと振り向くと、突然かけられた声に反応してマイが慌てて振り返る。

「あ? なに?」

 やっぱり聞いてなかったらしい。エンは一瞬説明しなおそうと思ったが止めた。説明しようがしまいが、ユイと同じ意見になるだろう。

「しかし身を隠すとなるとホテル暮らしというわけにもいかないな…………」

 当然のことながらホテルなどの宿泊施設を使えば『エン・エクスプロードが○×ホテルに宿泊中』という証拠が残る。たとえ偽名を使ったところでそれが何日も続けば気付かれてしまうだろう。毎回名前を変え、違うホテルを利用したところで人の口に蓋はできない。そのうち口づてに噂が流れ感づかれてしまうのも時間の問題だ。

 身を隠すとなると徹底的に行う必要がある…………のだが。

「あいにく、俺は身を隠したことがない。お前らならどうする?」

 今まであらゆる任務を真正面からとは言わないまでも力ずくでこなしてきたエンは、身を隠してほとぼりが冷めるのを待つなんてマネをしたことがなかった。

「条件としては人目につきにくいこと、生活をするのに支障がないこと、ある程度の情報が得られること。大まかに言えばこの三点かしら?」

「………………………………ふむ、だとすると俺の家がその条件を満たしてるな」

「お前の家? 近くにあるのか?」

「ああ、たいした距離じゃない。今日はここで一泊するが、明日の朝に行けば日が沈む前に着く」

「ふ〜ん」

 話しに入ってきた割には随分どうでもよさ気に返すマイは、さっきからどことなく上の空といった感じがしている。

 ウェイトレスが料理を持ってきたので一時話を中断して、立ち去るのを確認してからエンがもう一度口を開く。

「だとすると今日は自由行動だな。金は渡しておくから好きに使え」

「いいのか!!」

 ついさっきまで上の空だったのが信じられないほどの大声だ。立ち去ったばかりのウェイトレスが驚いて身を竦ませ、恐る恐るこちらを振り返ってくる。全く関係のない憐れな被害者になんでもないと手を振りマイに視線を戻すとマイは身を乗り出してまでいた。今まで見たことないぐらいに輝いている目を見てさすがに少しエンが引いている。

「あ、ああ。だけど別に大金じゃないから、大した物は買えんぞ」

 それでも何とか返答するエンにユイは疑わしげに問いかける。

「やけに待遇がいいわね。何か隠してない?」

 ユイの反応も当然のことだろう。ただでさえいつでも逃げ出せる状況だというのに、普通は捕虜に対してこれほどの好待遇はあり得ない。

「久々に一人になってなって羽を伸ばしたいのと、食料調達の礼。それだけだ」

 それはエンの偽らざる本心だったが、その程度のことでユイの疑いを晴らせるわけでもなく、エンは自分の内側を探られるような視線から逃げるように注文したサンドウィッチを口の中に詰め込み席を立った。

「じゃあこれがお前等の分の金だ。ここの勘定は済ませておくからゆっくりしていてればいい。ああそれと明日の集合時間と場所は……朝7時にこの店で落ち合おう。7時半になってもこの店にいなかった場合はおいていく」

 やたらと早口に言い捨ててエンは店を出た。結局、ユイの疑いを晴らすことができなかったので最後まで睨まれていたが…………。





 

「さてと……姉貴、どうする?」

 エンが店を出て行ったのを確認してからマイはユイに意見を求めた。

 ……いや、意見を求めるといった表現は正しくないかもしれない。マイの顔に浮かぶ笑顔はエンから渡された金をどう使うか楽しみにでしょうがないとはっきり言っている。これでは意見を求めるというよりも『この金を好きに使ってもいいか?』と聞いている程度でしかない。

 もっともユイはユイであの明らかに怪しいエンの後をつけて、その真意を明らかにするというやるべきことがあったので基本的に金は必要ない。夜にはマイと合流して朝を待つことにすれば必要なのは夕食の食事代の分と万が一の場合に備えたときの分ぐらいだろう。

「私はエンの後をつけるからあなたは自由にしていなさい。…………騒ぎを起こさなければ、という条件がつくけど、初めての自由なんだから少しぐらい大目に見てあげるわ」

「いいの? 姉貴だって初めての自由だろ?」

「私はあなたほど自由というものに憧れを抱いていないから……。それにマイよりも私のほうが尾行は得意でしょう? 適材適所、向いているほうがそれを行ったほうがいいのは当然のことよ」

 ユイはそれだけ言うとさっさとエンの後を追うために店を出て行った。

「……なんか悪いけど、まあ姉貴がそう言うんなら姉貴の分まで楽しんでくかな」

 その後マイは姉が食べていかなかった料理もしっかりと平らげ、上機嫌で街へ繰り出していった。



















 

 翌日の準備を終え、今日宿泊するホテルのチェックインを済ませると後ろにユイが居た。

「あなたもこのホテルなの? 奇遇ね」

 ちっとも奇遇でなさそうな口調でユイが話しかける。エンが自分につけられていることに気付いているからだろう。気配を立った尾行は完璧なものだったが、エンはもとより尾行されていることを前提にした様子だった。

 もっともあれだけ怪しいと思われて仕方のないことをしたのならば、当然とも言えることだが。

 エンはエンで尾行されたとしても仕方のないことだし、尾行されても問題がないのであえてその事には何も言わずに流した。
 ユイから特に意味もなく話しかけられたことには少し驚いたが、別に問い詰めるようなことでもない。

 ただ、その口調をどうにかしろと皮肉を交えて言おうとしたところで違和感に気付いた。

「マイは?」

 本人の雰囲気が変わっているわけでもないのにそれを違和感と感じてしまうのは、今まで一緒に居るところしか見たことがないからだろうか。

「マイは一人で街を歩いてるわ。いつも私と一緒なわけじゃない」

「それはそうだが、今まで一緒にいるところしか見たことがなかったからな」

「今までは離れることができない状況だったからよ。それに……」

 そこまで話してユイは僅かに口元を歪ませた。それに対して表情には出さないもののエンは少なからず驚きを覚える。

「それにこれは初めての自由だから…………」

 自嘲気味に笑うユイ……それはエンが初めて見るユイの感情のある表情だった。

「私達姉妹は幼いときから軍で戦闘の英才教育を受けてきたわ。それこそ休む間も無くね。英才教育が終わったら今度はヴァリムの兵士になって訓練と実戦の繰り返し。休日はあっても私たちに外に出ることは許されなかった…………。だから街で普通の服を着て、自分の好きなように歩き回るのはこれが初めてのことなのよ」

「それであんなに喜んでいたのか」

 瞼を閉じ、自由行動を提案したときのマイの喜びようを思い出す。

 突然の大声に周りの人が何事かと注目する中、そのことに気付かず詰め寄ってきた。それも今まで自由に行動したことが無いなら仕方の無いことだろう。

 瞼を開くとユイは既にいつもの無表情に戻っていた。

「あなたにこんな話をするなんて、私もどうかしてるわね」

 そう言ってユイは微かな苦笑を見せる。

「……お前にも、表情を変えることがあるんだな」

「悪魔には感情がないとでも思った?」

 また冷たい表情に戻り、皮肉気な口調で問いかけてくる。

「まさか。マイはよく感情をあらわにしていたし、俺ですら笑うことがある。感情があることを疑ったことはない。
 ただそれでもお前の表情を見たことが無かったから、何があろうと感情を表に出そうとしないのかと思っていただけだ」

「私としてはあなたが笑うことができることのほうが不思議ね。アルビノであることを理由に人間扱いされなかったのにどうして笑うことができるの?
 私達と違って独りのあなたが」

「今でこそ一人だが、ずっと一人だったわけじゃない。ほんの僅かな間だったが一緒にいてくれた人がいた。……ま、機会があったら話してやるよ」

「そう…………楽しみにしているわ」

 ユイの言葉と同時にエンの体が固まる。僅かに、よく見ていないと分からないほどだが僅かにユイの唇の端が持ち上がった。確証はない。見間違いかもしれないし、幻覚だったのかもしれない。

 だが、エンにはその表情は微笑みに見えた――――

 そのまま固まったエンを置き去りにして、ユイは悠々とチェックインを済ませホテルから出て行った。





 

 小一時間ほどたってからようやく我に返ったエンは、先ほどとったホテルの一室で翌日の出発に向けて荷物整理をしている…………のだが、さっきからなかなかはかどっていない。
 エンの頭の中にはユイの微笑が焼きついていて、離れることがない。そのために作業がはかどらないのだが、本人もどうしていいのか分からずそのまま作業を推し進めている。
 その結果、荷物整理が終わり窓の外を見てみれば既に日も沈み、真っ暗。
 晩飯もまだ取っていないことだし、ついでに散歩でもして未だ離れぬユイの微笑をどうにかしようと立ち上がる。

 記憶に残るユイと勝負のつかない睨めっこをしながら、本人に会ったらどう対応すればいいのかを考えながらエンは外へ出て行った。



















 

 グラスを手に取り無闇に笑顔を垂れ流す裕福そうな夫婦、見つめあって愛を語らうバカップルども、大人びた雰囲気の店。
 その一角には向かい合って座るエンとマイ。ただエンの表情はやや引きつり気味だし、マイは物珍しさにはしゃぎ気味だ。

 はっきり言って浮いている。

 普通の10倍近い値段の料理を、マナーなどという言葉を置き去りにして食すマイを視界に捕らえながらエンは数分前へと記憶を遡る。何故こんなことになったのか――――





 

 ホテルを出て3分もしないうちにマイに捕まり、金が無くなったので晩飯を奢れと言われてしぶしぶ付き合うことになった。このときはユイと顔を合わせるよりましだと思っていたらしい。
 手ごろな店を探している最中、マイが食べ歩きをしていたことが分かり『食っていたなら晩飯はいらないじゃないか』という至極当然の意見は即座に却下された。
 たかが晩飯を奢るぐらいいいかと思い、説得を諦めてついていたら『この店にはまだ入ってないから』などという理由でマイは止める間もなく店に入っていった。今にして思えばマイを引きずってでも別の店にするなり、自分だけでも逃げるなりすればよかった。

「おいっ、エン!」

 突然名前を呼ばれたエンは意識を目の前の少女に引き戻される。

「…………なんだ?」

 不機嫌ながらも律儀に返事をするのは、返事をしなければ今度飛んでくるのは声ではなくその手に持つフォークあるいはナイフかもしれないと踏んだためかもしれない。

「辛気臭い顔をするなっ、せっかくの飯が不味くなる」

「そりゃ悪かっ――――」

 ――――たな。と続く言葉を止めエンが考えるようなしぐさをする。正確に言えば考えるというより何かを思い出そうとしているようだった。

「なんだよ?」

「いや、初めて名前で呼ばれた気がしてな」

 いまさら気付いた。さっき呼ばれたのが名前だったことと、今まで『お前』とかとしか呼ばれなかったことに。

「あ? なんだそんなことかよ」

 そう。それは、なんてことのないそんなこと。

 だが、それはとても大切なことだ。





 

 親の顔を覚える前に捨てられ、誰もが憎しみのこもった目で睨みつけてきた。

 街を歩けば石を投げられ、血を流せば『化物が赤い血を流すのか』とさらに石を投げられた。

 名前で呼ぶどころか、名前をつけてさえもらえなかった。

 

 だからこそ、自分に名前をつけてくれた彼女の存在はこの上ない救いだった…………





 

「名前は重要だろ? それは自分を表すものだから」

 化物や悪魔とはまた違うな、エンはそう付け足してフォークに刺さった肉を口の中に放り込んだ。

「自分を表すものね…………」

 マイにだってわからないわけではない。自分にだって、似たような想いはある。



 

 物心ついたときにはもう施設にいて、大人たちが自分を見る眼は道具をみるそれと同じだった。

 外に出せと言ったところで降りてくるのは、許可ではなく硬く握られた拳。

 自分を呼ぶ声は番号で、自分の名前は数字の羅列より意味がなかった…………

 

 だからこそ、そんな中でも名前を呼んでくれる姉がいたことは最低な世界での唯一の救いだった。



 

「姉貴、どうしてっかなー」

 マイが何気なく口にした途端、エンが思いっきりむせた。飲んでた水を噴出さなかっただけ褒めてやるべきなのかもしれないが、マイにエンの心の内がわかるはずもなく、何やってんだコイツと眼で言っている。

 とは言え、特に気にすることでもないのか、なんでもないの一言であっさり興味を失い、エンもあまりに浮いているこの場から早く立ち去るために出された料理に取り掛かる。が、

「うまいな、これ。持ち帰って姉貴にも食べさせてやろう」

 またむせた。

 明らかに様子のおかしいエンを見て、マイが数秒黙り込む。その眼はエンの心を透かし見るように鋭い。

「…………お前、姉貴となんかあった?」

 訂正しよう。ようにではない、きっと透かし見た。

 図星を指されたエンは面白いぐらい挙動不審となって慌てふためいている。

 その様子を見て、マイが小悪魔な笑みを浮かべる。ユイがどうこうなるような相手ではないことはマイが一番良く知っている。ならエンがユイに何かされたのだろうと予測し――――

 

 第一回、マイによる地獄尋問(ひまつぶし)が始まった。







 

 ――――たっぷり一時間かけて行われたそれは、笑いすぎと食べすぎで腹を抱えたマイと、精神的疲労と金銭的苦痛で疲れきった表情のエンを作り上げてようやく終わった。

 

 ただ、疲れきっているはずのエンはどこか楽しそうにも見えた――――



















 

 ホテルの一室に光が差し込む。部屋の主たる女性が目を覚まし、何日もつけっぱなしのディスプレイに目を止め楽しそうに笑う。

 そこには昨晩エンがマイに引っ張りまわされた記録が事細かに表示されていた。

 高級なレストランで、とんでもない額の料理を食べたこと。持ち帰りができないことを知ったマイを抑えるのに、エンが酷く苦労したこと。暴れだしそうなマイをなだめるために、店から出た後街中の料理店をはしごしたこと。

 内容を読み返していると一番下に新たな文が追加される。

「…………………………驚いた、エンがそんなことするなんて………………」

 表示されたのはエンの買い物履歴。

 

 そして、エンが購入したものは――――



















 

 昨日決めておいた店にエンが着いたときには、二人とも既に席に座って待っていた。

「おせえぞ」

 エンに気づいたマイが開口一番にそんなことを口走る。ちゃんと時間には間に合っているエンとしては文句を言いたいところだが口を開くことはできない。なぜならマイの顔は怒っているのではなく、にやけているからだ。何か言えば必ず昨晩の悪夢を繰り返すことになるだろう。
 憮然とした表情のまま二人のテーブルに向かい、席に座ろうと椅子を引いたところで声をかけられた。

「おはよう。エン」

 予想しなかった声に思わず振り返る、エンの視線の先にはユイがいて、挨拶をしたのはユイということになる。しかも名前付きで。

「どうかしたの?」

「あ……いや、おはよう」

 視界の端に必死に笑いを噛み殺しているマイの姿が映る。ユイが挨拶したのはマイの差し金らしい、徹底的にからかい尽くすつもりなのか。
 からかわれ続けられるだろう今日一日のことを考え、頭を悩ませながらも椅子に座りウェイトレスを引き止める。二人は注文をとらなかったことから、もう食べ終えたらしい。

「早かったな」

「集合場所に時間より早く来るのは基本よ」

「あたいたちが早いんじゃなくて、アンタが遅いんだよ」

「あいにく、誰かと待ち合わせすることなんて滅多にないんでな」

「回数の問題ではないと思うけど? あ、コーヒーを一つ」

「ああ、あたいはコレとコレ、あとウーロン茶。姉貴の言うとおりだ、急な事態に備えて余裕を持って行動するのは当たり前のことだろうが」

「どうせお前のそれはユイの受け売りだろうが。あとお前らはもう食べ終わったんじゃないのか」

「ええ、だからこれは食後の一杯よ」

「ああ、あたいのは食後のデザートみたいなもんだ」

「その量はおかしいだろうが。あとユイ、おかわりすればタダなのにカップが三種類もあるのは嫌がらせか?」

「他のが飲みたくなったのよ。仕方ないでしょう?」

「細かいことを気にするな。食いたいと思ったら素直に食っておいたほうがいいんだから」

「お前はどこかの王族か。あとマイ、自分のだけでは飽き足らず俺の皿から奪うのはやめろ」

 

 外は良く晴れていた。雲一つない、というわけではないが、所々に浮かぶ白い雲は青いだけの空より穏やかに感じる。

 店の中で食事をとる三人の姿はとても自然で、些細な言い争いはむしろ微笑ましい。

 今このとき、人外と呼ばれる者が人の生活の中にとけこむその光景を(とが)める者はなく――――

 今このとき、三人は優しい平穏の中にいた…………



















 

 天狼のコクピットに人影が生まれる。エンだ。時刻は9時を回ろうかというところ、三人の朝食は思いのほか長引いたらしい。
 シルフはエンの姿を確認すると同時にカメラを起動させる。外に、ではなく内側に向かって。
 その作業は無音に故にエンたちに気づかれることはない。シルフの行動を知るのは唯一人、その映像を見ている彼女だけだ。

 天狼を造り、シルフを生み出し、ユイとマイ、そしてエンをあの場所に導いた彼女だけがシルフの行為を知っている。いや、『知っている』という表現はおかしいかもしれない。シルフがそんなことをしているのは、他でもない彼女の命令によるものなのだから…………。
 彼女の持つ端末にエンの姿が映される。昨日送られてきた映像よりも、幾分穏やかなエンの顔を見て彼女は頬を緩める。五年間、彼女はそれだけの間エンを見てきたが、今ほど穏やかな顔を見たことはなかった。
 だが、それもつかの間。ある街道の状況を見て彼女は表情を引き締める。

「まったく、本当に嫌われてるね。キミは」

 エンの取るだろう進路は既に、ヴァリム軍によって封鎖されていた。





 

《レーダーに反応。数15。ヤシャ3、ロキ5、ヌエ7》

 シルフの報告と同時にその拡大図が表示される。

「検問ってわけじゃないだろうな…………」

「ある意味あってるでしょうね、対象は私たちと天狼。あのとき襲ってきた集団が密告したのかしら」

 あのとき襲ってきた集団……街に着く前に二人を襲った元傭兵団、縄で縛って森に捨てておいた者たちのことだ。確かにそう考えるのが妥当だろう。
 道を変えるか迷っていたエンは何かの音を耳にした。カメラを動かし音の発信源を捉えると、他人事のようにのんびりしているマイが可笑しそうに笑っている。

 見られていることに気付いたマイは真っ直ぐに見返しつつもまだ笑う。

 

「やっぱり殺しておけばよかっただろう?」

 

 なんて、本当に楽しそうにマイは物騒なことを言い放つ。

「済んだことを言ってもしょうがないだろう。それより回り道してると日が沈むまでに着けなくなる。あれを片付けてくるからお前らは待ってろ」

 二人を掌から下ろし前方を見据える。レーダーの範囲が狭いのかヴァリム軍の者たちはエンたちに気付いた様子はない。

「ヴァリムのパイロット……か」

 彼が思い浮かべるのは服屋の店員。彼女の恋人はパイロットだと言っていた。もしかしたら、あの中にいるのかもしれない…………

「できるだけ、殺さずにいきたいな……」

 自分で言いつつも苦笑する。たまたま自分にまともな対応をしたからという理由で、それに関わりのありそうなもののために普段と違うことをしようとしている。あまりに単純で、自分らしくないとさえ思う。

 ただ、それでも『できるだけ』でいいから殺さずにいきたいと思う。
 その理由が笑ってしまうほど単純で、自分らしくないとしても。
 思うがままに動くことも自分らしいことで、そうやっていままで生きてきたのだから。

 誰も死ぬことなく済ませたいと、そう思う…………









 

 しかし、結論から言うと殺さずにはできなかった。
 彼の実力なら、殺さないで勝つことができたかもしれなかったが、それでもエンは…………





 

 天狼が高く、高く跳躍する。敵のレーダーの範囲に入ってもすぐには視界に入らないようにするために、流れ弾が二人に危害を与えないようにするために。
 ヴァリムの兵達は天狼が近づいたことには気付いたがまだ見つけられてはいない。遥かな高みから天狼の腕が動く。腕に備え付けられた手甲、そしてその中に内蔵された兵器『光爪』から光が放たれる。
 その閃光はヤシャのうち一機の左肩を貫き、さらにその先にある左足をも破壊する。
 続く二撃目は隣にいたロキのマシンガンとその後ろに並ぶもののカタナを。さらに3発、4発と必ず一回で二つ以上の武器を使用不能になるように光爪が唸る。

「ック! 各機散開せよっ! 天狼を取り囲み射撃兵器にて応戦! 天狼を――」

 隊長機らしきヤシャからまだ動ける者達に指示が飛ぶ。ヴァリムの兵は捕獲のために天狼を――

 

「破壊する!!」

 違った。彼等はそんな生易しいことなど考えてはいない。向けられる銃は天狼の弱点を意識して、威力よりも命中率と連射性を重視したもの。
当然、捕獲用などではない。
 故にエンは武器を破壊することに集中する。その判断は間違いではないだろう。それさえなければ敵を殺さずに制すのは難しいことではないのだから。
 ただ、慣れないことをしてるためだろう。天狼を手に入れてからの彼の戦いは、一撃与えたならそのPFはもう動けない。

 だから、気付けなかった。初撃で地に伏せたヤシャが右腕に銃を持ち替えていることを。
 その銃口の先に誘い込まれていたことを。

 他のPFの影に隠れた引き金に掛かった指が動いたことを――――









 

 空気を震わせない警鐘がかき鳴らされる。この五年間、自分の命が地獄に堕ちるのを防いでくれている本能が鳴らす警鐘を。
 それが死の直前を知らせるものだと認識したときには、もうその原因に気付いていた。

 己に向けられる黒い筒。その奥に装填された弾丸さえ見える。





 

 ――――瞬間、自分の鼓動が聞こえ始めた。

 向けられた銃口を隠すためヤシャと天狼の間に立つロキに手が掛かる。

 ――――鼓動は途絶えることなく鳴り続け、

 ロキを盾にして銃弾を防ぎ、倒れるヤシャの上に投げつけ一瞬でその傍に走り寄り――――

 ――――鼓動を聞くたび心が冷めていく。





 

 重なる二機の、コクピットを貫いた。

 そこまでする必要は、なかったはずなのに。





 

 引き抜かれた牙の先端に付いた赤いものを見ている間も、鼓動が心を冷ましていく。

 冷めた心が、感情を凍らせていく。

 もういい。殺してしまおう。壊してしまおう。潰してしまおう。

 

 俺の邪魔するものを、何故生かしておく必要がある?





 

 目に映るPFを打ち抜き、動きが止まったところを瞬く間に近付かれ一刀両断にされる。

 天狼に照準を合わせたロキの銃が射抜かれ、続く射撃でとどめを刺される。

 うろたえるヌエが攻撃準備をする間もなく牙に貫かれる。

 逃げようとしたヤシャは追いつかれた天狼の牙の一閃で二つに分かれる。

 その全ての攻撃が確実にコクピットを狙っていた。

『う、うわあああぁぁぁぁぁああああぁぁ!』

『たすけ、助けて! 助けてくれ!!』

『ひっ、いやあああああああっ!』

 戦場に、悲鳴が響き渡る。

「うるさいな、お前達は俺を殺そうとした。だから俺はお前達を殺す。それだけだろ?」

 つぶやく言葉は誰に聞かれることもなく。

 ――殺戮は、続けられる。



 

 両腕のなくなったヌエを残し、他のPFは無残の姿を晒す。14機のPFを破壊した天狼は、最後の1機を屠るべくヌエに歩み寄った。

 この殺劇を締めくくる終幕の一撃。それが、振り下ろされる直前――

 

『ファ、イ……ナ…………?』









 

 ――ヌエのパイロットがどういう意味でその名を呟いたのかはわからない。

 しかし、その動きは止まり、牙がヌエに振り下ろされることはなかった…………

 眼前に広がる惨劇とファイナ・シルフィード、その名と共に記憶がフラッシュバックする。

 

 『キミはキミに近づく人をみんな殺して独りで生きるの?』

 

 目にした途端、警戒をあらわにした俺を彼女は悲しげな瞳で見つめてきた。

 

 『私は自由に生きるんだ。それこそ風のように何にも縛られない生き方を』

 

 人に触れることのなかった俺は彼女の生き方に憧れた。

 なのに――――

 

 彼女の胸元からナイフの柄が生えている。そしてそのナイフを握るのは――――









 

『……ぅぁ、ぁ…………』

 ヌエのパイロットは混乱していた。突然モニターに“Faina”と表示され、思わずそれを読んでみると、地獄を作り出していた天狼が止まっている。その上気のせいかもしれないが、微かな呻き声さえ聞こえてくる。
 だが油断するわけにはいかない。むやみに動いて刺激し、他の者たちの後を追う気はないのだから。

 あくまで慎重に天狼の様子を探っていると、さっきと同じようにモニターに文字が表示される。

「今度は……“今すぐ立ち去れ”……?」

 混乱に拍車が掛かる。いったい何者がこの文を送ってくるのか? この相手は今の状況をどこかで見ているのか?
 そして…………

 ――――この者は天狼のパイロットのことを知っているのだろうか?

 判断に迷っていると、またも新たな文が送られた。内容は“死にたくなければ早くしろ”

「……く、大丈夫なんだろうな…………!?」

 不安は隠せないが少しずつ後ずさり、WCSの射程距離より離れた時点でブーストを吹かす。
 天狼に背を向ける。その恐怖はどれ程のものだったのか、天狼の反応がレーダーから消えたときには彼の体は冷や汗にまみれ、心臓は破れんばかりに脈打っていた。









 

「失敗、だったかな……」

 思わず手を出してしまった。
 殺劇が繰り広げられ始めた直後は気が動転して何もできず、残る最後の一機になって禁句(タブー)ともいえる一言を送りつけたが、状況は良くなってない。
 ヴァリムの兵が一人助かったが、エンが無事でなければ彼女にとって意味などないのだから。
 シルフから送られてくるパイロットの様子は酷いものだ。限界まで見開かれた眼は焦点が合っておらず、口からは呻き声が漏れるばかり。聞こえることはないが脈拍も危険なレベルに達しているだろう。
 本当に危険な状態だ。

 誰よりも、何よりも、エンの周りにいるものがこの上ないほどに危険な状態にいる。

「いつ『あの時』と同じになるのかわからないな……」

 加えて言えば、もし『あの時』と同じことになったとき、どうすればいいのかもわからない。

「……どうする? どうすればいい?」

 考える。何あろうと『あの時』と同じことを繰り返すわけには行かない。
 だから、思考しろ。天狼を造り、シルフを生み出し、天才と呼ばれた頭脳を使いこなして答えを見つけろ。

 だが思いとは裏腹に思考は空回る。答えが見つからず、焦りが募り、思考は意味を成さないことすら生み出さない。

「考えろ考えろ考えろ…………! 何か、何か方法はないのか!!」









 

「……ぅぁ、ぁ…………」

 気が狂う、気ガ狂ウ、キガクルウ…………

「ぁ、ぁぁぁぁ…………ぅぅぁぁぁぁ」

 ナイフの生えたファイナの胸

 ――俺が刺した――

 血に濡れていくファイナの身

 ――俺が染め上げた――

 力の抜けていくファイナの体

 

 ――俺が、殺した――――





 

 空は青いのに、世界は赤で、自分は酷く粘つく水の中にいる。

 ファイナがいない。どこにもいない。

 いや、もしかしたら…………

 ――――この、足元にあるのがファイナなのだろうか?

「ぁ、ぁぁぁぁ、ぅぅぅぁぁぁぁぁぁ…………!!」

 俺が殺した。俺が殺した、俺が殺した俺ガ殺シタオレガコロシタ…………!!!

 アァ……気ガ、クル――――

 

『戦闘は終わったようだけど、何をしているの?』

 

 ――――…………? 誰の、声だ……?

 思い、出せない…………?

 いや――――そんなことはない。覚えているはずだ。忘れるはずが、ない。

 

『ちゃんと聞こえてんのか?』

 

 ああ、聞こえている。でも誰だ? 誰の声だ?
 思い出せ、忘れているはずはないんだ。

 俺が、この二人の声を忘れるはずないんだ――――









 

 収まることなど無いように思えた鼓動が静まった。
 呼吸が落ち着き、瞳には光が戻る。
 目に映るのが赤い世界ではないことを確認するように辺りを見回し、一点で止まった。

 

 そう、忘れるはずがないんだ。
 なぜなら彼女等は――――

 

「今からそっちに向かう。少しぐらい待っていろ」

 

 ――――俺と、同じモノなのだから――――









 

 道を少し戻った天狼が、人二人の反応と共に進んでいくのを眺めながら彼女は一人呟く。

「……お礼を言っておくべきなのかな?」

 その言葉がどれだけ無意味か彼女は理解している。自らが述べる礼は二人に届くことはなく、また礼を伝える機会が来ることもないだろうことも。
 さらに言えば仮に礼を言うことができたとしても、それが二人にとってどれだけの価値があるというのだろう。二人にしてみればただ様子が気になったから話しかけただけに過ぎないのだから。

「ま、いつか何かプレゼントでもしますか」

 妙にすっきりとした表情でまた一人呟くと彼女はモニターの電源を落とした。

 もうすぐエンの家に着くだろうか。と、どうでもいいことを思いながら…………



















 

 豪邸、とはいかないまでも十分に邸宅と呼べる大きさの家。PFが二桁ほど入りそうな整備場。演習場並みの広さの庭。

「どうした?」

 これが、インフェルノと呼ばれる傭兵の自宅である。
 ただ本人はこれがどれぐらい常軌を逸しているのか気付いていないらしく、ぼうっと家を見上げる二人を不思議そうに眺めている。

「……なんか理不尽だ」

「は?」

「何でもねぇよ」

 何でもないと言いつつも、何か納得のいかなそうな顔をしているマイを(いぶか)しく思いながらも自宅に入るエン。
 その後を追ってユイが扉の奥に消えていく。マイは姉に続いて一歩踏み出す前に、もう一度この巨大な家を見上げた。

「絶対不公平だ…………」



 

「――――で、向こうが厨房。今は食材がないから意味はないけどな。次に――――」

 ブツブツ何か言っているマイを気にせずエンはやる気なさそうに家の中を案内する。案内する場所は生活するのに必要最低限な所だけで、あとのは目の前を通り過ぎても何も言わない。もっとも、聞く立場にある二人もまったく気にしてはいないが。

「……と、これぐらいか。今日はもう何もやる気が起きないから解散。何か聞きたいことがあったらその都度答えてやるから適当に過ごしてろ」

「晩飯は?」

 受け付けた途端聞かれた質問にエンが頭を押さえる。

「…………まともに口を開いたかと思えば、出てくるのは飯のことだけか? まぁ、別に構わんが」

「構わないんなら文句を言うなよ。で、飯はどうすんだ?」

 さっきエンが言ったとおり今この家に食材はない。が、庭の一部である森には食用の実のなるものもある。それを使えば料理ができないわけではない。

「ま、出前でいいだろ。頼んでから来るまでに時間が掛かるだろうからそれまでに使う部屋を決めておくといい。空いてる部屋ならどこでもいいから好きに使え」

「そう、なら勝手に見て回らせてもらうわ。行くわよマイ」

「待ってよ姉貴。あ、出前! おいエン、あたいの分はピザのLサイズ2枚とカルボナーラとペペロンチーノと――――!!!」

 姉についていきながらも、姿が見えなくなるまで食べ物の名前を叫んでいるマイを見てエンがこめかみを引きつらせ、もし注文どおりに出前を頼めなかった時のことを考えて胃に手を当てる。

「……忘れないうちに注文しておくか…………」





 

 家を空けていた間に溜まったメールを適当に斜め読みしつつ、双子の悪魔の情報を集める。

「……俺じゃこれ以上は無理だな…………」

 だがそれもすぐに終える。今まで情報収集をしたことがないエンが、有名とは言え個人の情報を集めようなど無理があるのだ。
 手早く見切りをつけ、読んだメールに返事が必要ないと判断するとドアノブが動く音がした。だが、入り口に振り返ってみても扉が開く気配はない。

「……………………?」

 ユイとマイ、二人のうちのどちらかがのものであろう扉の向こうの気配は、入ってこないことを不思議に思った頃には離れていく。何か用があるのだろうと気構えていたエンは、あっさりと離れていった気配に微妙な表情をして立ち上がる。
 二人の気配はまだ近くにいて、扉から離れはしたものの、立ち去る様子はない。

「何をしてんだ……?」

 部屋から出るとすぐ隣の部屋の前に二人はいた。いたのだが、エンを見るなりマイは思いっきり眉をしかめてみせる。

「何をって自分の使う部屋を決めてるに決まってんだろうが。手前(テメェ)は自分で言ったことすら覚えてねえのか?」

「……ああ、それでか。で、その部屋にするのか?」

「ええ、本当はそっちの部屋にするつもりだったのだけど、予想通り使われていたから」

 どうもエンの部屋のドアノブが動いたのはユイが開けようとしたためらしい。だがすぐにこの部屋がエンの部屋であることに気付いたので、仕方無しに隣の部屋にしたということらしい。

「でもコイツの隣の部屋かよ……。あたいは別の部屋にしようかな」

「……まぁ、部屋は余ってるし2つだろうが3つだろうが使っても構わんが――――」

 我が道を行く少女は本人の目の前で露骨に嫌がって見せてさらに隣の部屋の前に立ち、

「――――そこは物置だぞ?」

 扉を開けたままの姿勢で固まった。
 だがそこはマイ。すぐさま立ち直り、さらに隣の部屋に行こうとして――――

「廊下で過ごしたいとは奇特な趣味を持ってるな」

 壁にぶち当たった。

「別に止めはしないが、さすがに夜は冷えるぞ?」

 せめて毛布ぐらいは……なんて言っているこの家の主を思いっきり睨みつけてマイは姉の所へ戻っていった。





 

「「……………………」」

 ユイが開けた扉の先は灰色の空間だった。何もないが故に見える壁の色というわけではない。どういうわけか、この部屋にもちゃんと家具はある。
 ならば家具が灰色なのかといえばそういうわけでもないだろう。少なくとも部屋の中にある家具全てが灰色一色で統一されているわけではないはずだ。灰色なのは部屋全てをコーティングしているものためだ。

「当然といえば当然だな。誰も使っていないんだから」

 ――――埃で、だが。

「誰も使ってない部屋が掃除してるわけがない。まだ出前を頼んでから20分も立ってないし、それまで掃除をしておくといいだろ」

 じゃ、がんばれよ。と立ち去ろうとする悪人を引き止める――捕らえるとも言う――手と手。

「まぁ待て。どうせお前もやることないんだろ?」

 マイの言葉と共に襟にかけられた手に力が入り絞まる首、そして赤くなる顔。

「家の持ち主としては、当然家を清潔にしておくべきだと思うわよね?」

 ユイの言葉と共にやっぱり襟にかけられた手に力が入る。そして青くなっていく顔。

 

 エン・エクスプロード18歳。初めて招いた来客にすることが部屋の掃除とはいかがなものか…………









 

「……………………遅い」

「ベッドは一つしかないがどうするんだ?」

「かなり大きいみたいだし、二人で使うからいいわ」

「………………遅い」

「ん、このクローゼット壊れてるな。他の部屋から持ってくるか」

「どうせ服は少ないのだから小さいのでいいわよ。そこまで大きくても邪魔なだけだわ」

「…………遅い」

「あ、掃除機が壊れた……」

「なら箒を使いなさい。それも壊れたら雑巾でも使ってやりなさい」

「……遅い」

「マイ、俺が手伝ってやってるのに何でお前は動かない?」

「エン、あなたが家の掃除をするのは当然のことでしょう?」

「遅いっ!! エン、飯はまだ来ないのか!!!?」

 掃除を始めること数時間。マイの空腹は限界に達していた。エンに詰め寄るなりいきなり締め上げる。

「仕方ないだろう。このあたりに街はないんだから時間が掛かるのは当たり前だ」

「それでももう1時間もたってんだぞ!? 遅すぎるだろ!!」

「…………いや、もう2時間たってるな」

「なおさら遅いだろうが!!!」

「騒ぐな、多分あと10分ぐらいで着くだろ。ユイを見習って大人しく待ってろ」

 エンがあごでユイをさす。見ろということなのだろう。それに対してマイは首を締め上げたまま首をめぐらせる。そこには黙々と掃除を続けるユイの姿があった。

「1時間や2時間で騒ぐことなく黙々とやるべきことをしてるだろう。お前の部屋でもあるんだから少しぐらい…………ってどうした?」

 ユイを見ていたマイはすぐにエンに向き直りさらに首を絞める。

「姉貴は姉貴、あたいはあたいだ」

「…………それはいいが、そろそろ手を放せ。さすがに苦しくなってきた。それに俺に当たったところで出前が早く来るわけでもないんだから――――」

「お前が、ここに来るまでに、ちゃんと飯を買っておけば、こんなことにはならなかっただろうが!! ようするに、まだ飯を食えないのは、お前のせいだってことだろうが!!!」

 マイが一言言うたびにエンの首がさらに絞まっていき、ついにはエンの足が床から離れるまでに至る。
 でもマイは気にしないし、ユイは目もくれない。
 結局エンはベルが鳴るまで開放されることはなく、マイが掃除を手伝うことはなかった。









 

 自室にてエンが倒れている。空腹で。
 夕飯が届いたことにより収まったかに思われたマイの怒りは、エンに指示した通りのものが揃っていなかったことにより再発。その怒りを抑えるためにエンの分を与えた――奪われたとも言う――結果がこれである。
 今から庭に出て何か採ってくるというのも考えたようだが面倒になって止めたらしい。とは言え、エンの疲労もかなりのものなのかそのまま眠りに沈んでいった。

 

 沈んだのだが、意外と早く目が覚めてしまった。
 時間を確認すると1時間ほどしか経ってない。

「…………………………………………寝なおすか?」

 そう思いながら時計の下に視線を向けると鞄がある。その中に入っているものは今朝二人に渡すために買った物だ。今日はいろいろあったせいですっかり忘れられていた。

「二人とも、ちょっといいか?」

 鞄の中から紙袋を取り出し、隣の部屋の前に立って声をかけるが聞こえていないのか返事はなく、沈黙が返ってくる。

「入るぞ?」

 そう言いながら扉を開ける。が、中にあるものを見てエンは思わず息すら止めた。

「………………」

 それは、穏やかな顔で眠る二人の姿。

 その寝顔は本当に安らかで、これ以上ここに居て二人だけの空間を侵してはならない。そんな気すらする。

 決して起こさないように気をつけ、静かに扉を閉める。

 目を閉じ、先ほどの光景を思い出す。

 あの穏やかな寝顔を見れただけで、今日この日がとても素晴らしい日に思えてくる。

 あの凄惨な過去の苦しみを和らげるほどに。



 

 この安らぎを胸にエンは自らの部屋に戻っていった。



















 

 昨晩から引きずっているためか、翌朝エンは空腹で目が覚めた。

 とは言え、この家に食材はないのだから食事を取りたいのなら庭に出て採りにいくか、街まで出て食べに行くかのどちらかしかなく、どちらを選んでももうしばらくの間エンがひもじい思いをすることが決まっている。
 どちらを選んでも同じなら二人に合わせようと思ったのか、二人の部屋の前まで来たところで普段と違うことに気付いた。

 いつもならするはずのない人の気配と話し声。それは目の前にある扉の先からではなく、もっと遠くからのものだった。

 

 二人を探して行き着いた先は食堂、テーブルの上には料理の乗せられた皿がある。

「…………?」

 材料もないのにどうやったのか首をひねって気にしていると厨房からユイが出てきた。

「……これの材料なら保存食よ。マイが待ちきれないみたいだから作ったのだけど」

 言われて見ればテーブルの一角にマイが既に陣取っている。完璧なまでに食うだけの体制で、料理を手伝った形跡はまるでない。ユイが作る係りなら、マイは食べる係りらしい。

「……あぁ? なんだ起きてきたのか」

「…………そのまま寝てればよかったのにとでも言いたそうだな」

「当たり前だろ? あたいの食べる分が減るんだから」

 昨晩見た寝顔は幻だったんじゃないのかと思えるほど不機嫌そうな顔をするマイに苦笑していると、さっきの言葉が妙であったことに気付いた。

「…………俺の分もあるのか?」

 エンがいることでマイの分が減るならそう考えるのが自然。はっきり言って意外である。

「いらないのなら食べなくていいわよ」

「いや、腹は減ってるから食いたいが、何で俺の分まであるんだ」

「ここにいる間は借りを作っていることになるから、そのお返しよ。借りを作り続けるのはいい気分ではないから」

 それがユイの言い分である。だが借りを作り続けているということであればマイも同じだ。
 ならばとエンの視線が自然とマイへと向く。

「…………な、なんだよ。別にいいだろ、料理ができないぐらい」

「いや、まぁ別にいいけどな…………」

 苦笑しつつも作ってくれた料理を口に運ぶ。

 

 ――――のだが、作ってもらってなんだがユイの料理は美味くもなく不味くもなく、調味料を使ってないせいで味がないという代物だった。
 そのため何か口直しがないかと、エンはポケットの中をあさり何かを取り出す。

「ん? 何持ってんだ?」

 エンが取り出したのは紙袋。それは先日街で買ったものだ。結局、昨日渡せなかったことを思い出し、苦笑しつつも中身を取り出し二人に渡す。

「…………指輪?」

「森での食料調達と前の街での価値ある時間の礼。せっかくだから貰ってくれ」

 それとあの時みたいにならずに済ませてくれた礼。
 しかし一番大きな理由であるそれは伝えられることなく、心の中にだけで留められる。

「貰ったあとは捨てようが好きにしてくれて構わないから」

「…………そう、何か仕掛けてあるわけでもないみたいだし、貰っておこうかしら」

 らしくない言葉にマイが驚愕する。ユイならば絶対に受け取らないと確信していたために姉の判断はあまりに意外だった。

「本当に礼をするのが目的みたいだし、特に邪魔になるわけでもないでしょう?」

「姉貴がそこまで言うんなら……」

 姉に同意を示し、せっかくだからか指輪を付けようとするが。

「……………………入らねぇな」

 中指の節につかえて入ってはくれない。

「……人差し指でも無理ね。入らなのなら返したほうがいいのかしら?」

「いや、薬指を試さないのはいいが、返すのはやめてくれ」

 別に深い意味で指輪にしたわけではなく、エンにとってプレゼントで思いついたのが指輪だったからそれにしたわけだが、それにしても指輪を返されるのは辛いものがあるのか、やや頬を引きつらせて遠慮する。

「いまから食材のついでにチェーンか紐でも買ってくるから、とりあえず持ってろ」



















 

 逃げるように家を出たエンの顔が僅かに歪む。

 それは本当に微かな変化で本人さえ気付いていない。

 

 先の掛け合い、それはまるで人のようで。

 化物と呼ばれる自分が、まるで人のようで。

 悪魔と呼ばれる二人が、まるで人のようで。

 あの場所に三人でいる限り、人でいることが許されるようで。

 

 本当に微かだけど、エンは微笑んでいた…………











 

第3話へ続く


 




 

 〜あとがき〜

 どうも〜、コウです。
 お待たせしました(待ってないかもしれないけど)第二話です。

 完成してみれば第一話がアップされてから約一年…………
 遅すぎですね(汗)
 目標としては次は3ヶ月ぐらいで仕上げたいが……できるだろうか?
 最終目標は一月に一回ぐらいだけど、俺には無理かも…………

 まぁそれはともかくとして、次は
 第三話
 短編1(ギャグ)
 短編(シリアス)
 の3つのうちのどれかになりそうです。コレがいいっていうのがありましたら優先的に取り掛かりますんで遠慮なくどうぞ。

 うし、では続きをがんばってきます。
 意見あるいは感想があれば是非〜



 


 管理人より

 コウさんより第2話をご投稿頂きました!

 少しずつ過去が明かされていって、良い感じですね〜

 それと三人の交流も微笑ましい光景で、読んでいて楽しかったです(笑)
 


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