「意外と、可愛いな。」
「え?」
「嬢ちゃんの腹の虫。」
「〜〜〜っ!」
取りとめもない会話をしながら、リーネとブレッドは責任者室を後にしていた。
片や説経を免れて安堵した顔のブレッドは、実際腹が減っていた。
思い返してみれば、先日からまともな食事を採っていなかったのだ。
簡易食と言われるもの、すなわち栄養分を入れた棒状のクッキーや、ゼリー状のものばかりで、
今や胃の中は空っぽだろう。
変わって、リーネも数日前から寝不足で、食事もあまり採れていなかった。
なまじ天才科学者という位置づけのため、四六時中責務に負われている。
それに此処最近はシード・ラボ関係の書類整理、試験機体の最終チェック、エトセトラエトセトラ。
基本的に食物を摂取すると睡魔に弱くなる彼女としては、そうあることを甘受出来ない。
真面目な性格をしている分、損をしているといっては皮肉なのだろう。
と、様々な身の事情を持って、二人は食堂へ足を向けていた。
「リーダー君ってデリカシーないですね。」
「でかしりぃ?」
「もう良いです…。」
大きな溜息を吐いて、憮然とした顔をブレッドに見せる。
呆れ果てました、と顔にかかれているような眼差しで、さしものブレッドもムッと顔を顰めた。
「何だよ、俺だってそれくらい知ってる。」
「…そうですか。」
「新型の装甲板だろ、デリカCって。」
「…あ、頭が…。」
唸りながら、リーネは頭を抱えた。
今更ながら、ブレッド・アローズは品性に欠ける。
これでは、リーネが一瞬でも期待した白馬の王子には程遠い。
理想が高すぎてしまうのか、それとも地に足が着いていないのか。
どちらとしても、彼女は自分が子供じみていることは十分理解していたが。
「リーダー君は…」
言いかけて、足元がふら付く。
「ぁ…れ?」
サァッと頭から冷水を浴びせられるような感覚、あるいは罪悪感に苛まれる時のような感触。
急に頭が痛くなり、冷たい油をこめかみから注ぎ込まれるような気持ち悪さ。
そんなものを知覚したとき既に、リーネの背と床は逢着していた。
眼を薄く開いて、病床死の前の老人のようにまともに動けない体なのに、
リーネは無理やり起きようとし始める。
だが、巧くいくはずもなく、力なく上がった腕はまたゆっくりと落ちていく。
ブレッドは一目で、その状態を看破した。
貧血だ。
少し紅潮した顔を見れば直わかる、それでも細く開いた眼はしっかりとブレッドを見ている。
彼女の意志の強さに少し驚きながら、ブレッドはリーネの元に膝をついた。
口をパクパクさせているものの、意味のある言葉は出てこない。
抱き上げて眼を見る、瞳孔は大きく開いているわけではない。
ならば、彼女には休息が必要。
そう判断した頭は、朦朧とした顔のリーネに上着を被せて背負い、医務室に向かって歩き出した。
「お父…さん。」
「冗談じゃない、俺はまだ若い。」
苦悶交じりのリーネの声を、ブレッドは振り返らずに遮った。
* * *
何故か昔を思い出す。
リーネは薄くなっていく思考ながらも、不思議な温かさを心地よく感じていた。
彼女の父は科学者で、尊大な人間だった。
戦争を愁い、それを根絶するための活動にも大いに貢献した。
しかし、それも未だ報われては居ない。
他界寸前までうわ言の様に平和を祈っていた姿は、痛ましかった。
なぜなら、彼が戦争を止めようとするためにしたことは、兵器開発だったから。
多くを殺されることを防ぐために、多くを殺す。
そんなものの手助けをしていて、心が擦り切れなかったはずがない。
戦争の痛ましさを知りながらも、それを加速させるような己の所業を、彼はいつも悔いていた。
だというのに、それを抑えて、彼は愚直に殺戮のための兵器を開発し続けた。
結果、両軍の争いは激化していった。
それでも、リーネは父親を尊敬していた。
家族をも守る優しい父親が、彼女は好きだった。
そして、彼女は父の後を継ぐかのように兵器開発に携わった。
されど、彼女が目指すのは多くを殺し、多くを生かすための兵器ではない。
一人たりとも犠牲を出さず、全ての人を笑顔にする。
絵に描いたような理想が、彼女は欲しかった。
* * *
「ったく、子供なら子供らしく無邪気でいりゃいいものを。」
医務室にリーネを任せたブレッドは、見ているほうが沈鬱になりそうな表情で廊下を歩いていた。
もう少し早く彼女の状態に気づいていれば、早くに休養を勧められた。
追憶を引き上げれば、幼い少女が激務をこなしている事位瞭然)。
天才科学者と看板を持とうが、彼女はまだ幼い。
「俺の落ち度か…くそっ。」
落ちつかない手を握り、胸元で構えた平手にぶつける。
少しも痛みなど在ろうはずもないくせに、その拳は妙に重く感じた。
「あ、リーダー。」
思考に埋没しかけたところで掘り返される。
俯いていたブレッドは床の塵を数えていた眼を上に向けた。
最初に眼に入るのは清純そうな白いオーバーニー。
長いしなやかな髪、スカートと続いて、直前には心配そうな顔を向けているカグヤが居た。
秀逸な眉はハの字に曲げられ、蒼い瞳がこちらを見据えている。
「その様子じゃ、大分絞られちゃいました?」
「どーもこーもない、最悪だよ。」
肩を下げるブレッドに怪訝な眼を向けるカグヤ。
「ま、そりゃいいんだけど、カグヤはどうしてここに?」
気に掛かったのか、ブレッドは顎に手を当てて問うた。
すると、カグヤは一瞬だけ吃驚したように肩を上げると、柔らかそうな頬に朱をさして俯いた。
明らかに挙動不審。
手前で合わせた両手はスカートの裾を忙しなく揉み、足の爪先は上下を繰り返している。
「あ、あ、あああの夕飯ってもう済ませました!?」
食いついてくるようにブレッドに詰め寄るカグヤに、ブレッドはキョトンとすると、
直に首をかしげ、腹部を一つ撫でて、答えた。
「いや、まだ。というか凄く腹減っている。」
「な、なら、これからい、い、一緒にどうですか!?」
切羽詰ったカグヤの顔に疑問を覚えつつ、ブレッドは苦笑気味に口を開いた。
「ああ。」
了承の意を表したブレッドに、カグヤはホッとした表情を見せる。
喜怒哀楽が早い奴なんだなと思いつつ、ブレッドは笑った。
* * *
宇宙での食事というものは、存外味気ないものである。
ノギ・カグヤがそう思ったのは、宇宙に上がって間もないころだった。
食べられないことはないにしても、美味しいと心から思えるものがなかった。
スペースをとらずに腹が膨らむ事だけを重視した味も、眠気を飛ばすために飲む風味の悪い珈琲も全てが美味しくない。
だから、彼女は本物を志向するようになった。
パイロットが帰還後に嗜める珈琲も、いつか美味しいと言ってくれる人のために。
しかし、そんなことをいっても宇宙では本格的な調理は難しい。
何より食材の管理自体が難しいので、手間のかかるものだ。
それらを頭に入れて、カグヤは食物を用意していた。
ラウンジのテーブル。
大きめなものもあるというのに、二人は向かい合うようにして座っていた。
片や緊張した面持ちで、ブレッドの一挙一動に眼を配らせているカグヤ。
片やいつもどおりの雰囲気で、カグヤの眼に冷や汗笑顔で答えるブレッド。
「ど、どうでしょう?」
テーブルの中央に皿と珈琲を進めながら、恐る恐るといった感じでカグヤが問う。
それに対し、ブレッドは軽く驚いた素振りで応えた。
「へぇ、こいつは凄い。宇宙でもサンドウィッチが食えるとは思わなかった。」
目の前にあるのは、大昔ポーカーの好きな貴族が考えたといわれる食べ物。
多種多様な具をパンで挟んで食すという、手軽かつ機能的なものである。
だが、ブレッドは驚嘆していた。
宇宙で食材を使った料理を作るということは、これがかなり大変なのだ。
「どうぞ。」
「頂きます。」
彼の口にすっぽりと納まる長方形のサンドウィッチ。
咀嚼して、歯ごたえに思わず唸る。
嚥下すると、ブレッドはもう一つのサンドウィッチに手を伸ばしながら言った。
「料理、巧いんだな。カグヤって。」
もそもそと呟いた言葉に、同じくサンドウィッチを頬張っていたカグヤは顔を熟れたトマトのように赤く染めた。
「さっきの珈琲もそうだったんだろうけど、かなり美味いぞこれ。」
ブレッドは早二個目を飲み込んで、珈琲に口をつける。
「ありがとうございます。ほら宇宙って美味しい食べ物がないじゃないですか、
だからせめて自分で作れればいいな、って。」
「そうか。」
それから丁度三つ目のサンドウィッチを食べ、珈琲を堪能したあと、ふと、考え込むようにして顎に手を当てた。
癖なのか、頭を俯かせる時、彼は必ず顎に手を当てる。
「そうだ、これ貰っていいか?」
「良いですけど、どうするんですか?」
聞いてきたカグヤに、ブレッドは喉の奥で笑った。
「何、嬢ちゃんの腹の虫が泣いてたもんでな。」
* * *
ぽっかりと、心に隙間が開いた感じ。
言い例えるならば、それが一番適当なのかもしれない。
リーネは一人、医務室のベッドで膝を抱えていた。
周りはいつも大人達に囲まれ、愛想のいい子供でいた毎日。
父親が死んでからは、必死で追いつこうと兵器開発に没頭していた。
本来なら、戦争など関係なく、同年代の者達と明るく楽しい他愛のない話をする年頃だった。
父の遺志を継ぐために、彼女は必死で研究や勉強に没頭していた、
故に、友達もなく、在るのは無駄に多い軍関係者の知り合い。
その果てが、天才科学者などと言われる始末。
天才というのは、元よりその素質があった彼女の父のことを言うならまだしも、
彼女にはその言葉は称賛どころか侮辱に近い感がある。
努力の終着点でなり得た者に、才を称えるのはおこがましく、
リーネ自身、そういわれて愛想笑いを繕っていた自分に嫌気が差していた。
輝かしく見えた目標にたどり着いて辟易するなど、まるで惑星探査のそれである。
「はぁ。」
溜息が洩れる。
彼女は寂しかった。
歳の差という一線を引いた付き合い、上下関係念頭の付き合い。
そのどれもが、彼女を苛める。
だが、
「なんだ、意外に元気そうだな。」
たった今目の前に現れた男だけは、それらを全て裏切って、腹が立つほど率直だった。
「リーダー君…。」
「いきなり倒れやがって、少しは迷惑ってものをだな…、どうした?」
ブレッドは手に持っていたものをベッドサイドに置くと、気遣わしげな面でリーネに問うた。
そう問われたリーネは一秒、問いの意味が解らずに首をかしげた。
呆けるリーネに、ブレッドは厳しい顔で詰め寄る。
当のリーネはその挙動の意味が解らないまま、視線を落とすと、膝までかけていたシーツが、少し湿っていた。
それを見た瞬間、小さい染みの水玉が一つ増える。そこで漸く、リーネは湿り気の意味を理解した。
「ぁれ? おかしいですね、欠伸なんてしてないのに。」
服の袖で拭いながら、崩れた笑みを作るも、うまくいかない。
眼だけは見られまいと袖で拭いながら隠すリーネだが、
頬に流れた軌跡を消すのを忘れているのが妙に哀切さを見せる。
途中で、ブレッドはリーネの仕草に大きな溜息をついた。
「涎か?」
「違います!!」
途端、リーネは大きな声で叫んだ。
「だったら涙しかねえだろうが。」
それに呼応するかのごとく、ブレッドが言い返す。
その声の大きさに驚いたのか、体を揺らして黙り込んだ。
見れば、ブレッドの顔は頑なに怒りを湛え、厳しい眼差しを向けている。
けれど、その眼には糾弾の色はなく、むしろ見ていて安心する色をしていた。
潤んだ瞳を自身に向けてくるリーネに、ブレッドは一つ鼻を鳴らして顔をつき合わせた。
「いいか、それはな、今みたいにケチ臭く出すもんじゃねえ。」
瞬間、鼻の奥が詰まった感じがこみ上げて、胸が熱くなる。
リーネは今まで味わったこともないような感覚に戸惑いつつ、目頭が熱くなるのを感じていた。
真摯な顔で真っ直ぐ見つめてくるブレッドを見ているだけで、喉の深淵から何かが出てきそうになる。
それをこらえようとして、彼女は口を結んで眼をつぶった。
そっと、温かいものが睫を撫でた。
眼を開けると、其処には今まで見たこともないようなブレッドの顔。
慈愛に満ちた、優しい顔。
「もっと、盛大に出すもんだ。」
今まで奔流を塞き止めて来た堤防が、今の言葉で砕け散った。
「っぁ、ぅぅぅ…。」
小さな嗚咽、小さな肩を震わせながらリーネは顔を両手で覆う。
そんな様子にも、ブレッドは呆れた様子で言った。
「もっと声を出せ! そうしないと胸のつっかえも取れねえぞ!!」
刹那。
「うううああああああ、ぅぁあああぁあぁあぁ!!」
リーネはブレッドの胸の中に飛び込んで啼いていた。
* * *
「やれやれ、手間のかかるお嬢ちゃんだ。」
リーネを抱えたまま、ベッドの上に腰を落ち着けたブレッドは嘆息した。
先ほどから30分、こうして彼女の背中をさすり、頭を撫でている。
やっと落ち着いたのか、泣くのを止めてしゃっくりの様に肩を上下させるリーネは、
ブレッドの服を掴んで離さなかった。
彼女の耳元で囁きながら、ブレッドが抱きすくめる様に力を入れると、
リーネは自然と力を弱めて、抱き返すような形で絡み合っていた。
「スッキリしたか?」
幾ばくかの瞬きの後、柔らかく問うてきたブレッド。
恋人同士のように抱き合っていたリーネは、それで少しずつ吐息を浅くしていった。
「はい、すいません。いきなり泣き出しちゃって。」
「別にみっともないことじゃない。それより、何で泣いてたんだ?」
鼻にかかった声で続けるリーネの背を、ブレッドはポンポンと軽く叩く。
それが舌を滑りやすくしたのか、リーネはブレッドから少し体を離して口を開いた。
「なんだか、嬉しくて。」
「嬉しい?」
鸚鵡返しに聞き返すブレッドに、涙を拭きながら頷くリーネ。
「私、今までずっと、人と付き合うってことが出来なかった…いえ、しなかったんです。
父が他界してから、父に追いつこうと頑張って来たから、人付き合いの仕方を知らなかったんです。
仕事で知り合った人とも、仕事以上の話が出来なくて寂しかった。
でも、リーダー君はそんな私をお構いなしに扱ってくれて…。」
再び溢れてきた涙をぐしぐしと袖で誤魔化して、リーネはにっこりと笑った。
「だから、とっても嬉しかったんですよ?」
「そか。」
まだ頬に光る筋が残るリーネの頭に、ブレッドはポスと手を置き、それから、がしがしと荒々しく撫で始めた。
一本に纏めていた髪も乱雑な撫で方で崩れ、くしゃくしゃになった髪も気にしていないのか、
リーネはくすぐったそうに眼を閉じた。
「レガルド小隊の奴らはいい奴ら揃いだしな、あいつらもきっとお前のことを好きになるさ。」
ベッドから立ち上がりながら、言う。
「後、カグヤに飯作ってもらったから遠慮なく食え、美味いぞ。」
ベッドサイドに置いたサンドウィッチとココアを指差して、ブレッドは背を向けた。
「あ、あの!」
「あ?」
ブレッドが振り返った先に、リーネがいた。
急いでベッドから抜け出てきたので、足に靴はない。
握られた腕を見て、ブレッドは不思議そうな顔をする。
「有難う…ございました!」
おたおたしながら頭を下げたリーネに、ブレッドは苦笑した。
彼女の普段の顔の下に隠されている素顔、それが今の少女の顔。
あどけなさが抜けきれていないことにいくらか頬を緩めつつ、
ブレッドはリーネの顔を見つめて彼女の手をとった。
「おいおい、これから俺たちはチームだ。
ならこれくらい、当然だろう?」
開いた手でリーネの少し赤くなった眼の目じりを拭う。
それからぺちりとリーネの額に人差し指をつけ、ブレッドは気持ちのいい笑顔で笑った。
リーネが後で頬張ったサンドウィッチはとても美味で、冷めたココアがとても温かく感じたのは気のせいか。
されど、彼女がブレッドのジャケットを大事そうに抱きしめて床についたことは、余談として記しておこう。
あとがき。
はい、ども。
ここ初投稿となります、しょうへいです。
一応設定とか私見で弄ってますのでオフィシャルから見たら大分それているとは思いますが、
それを感じさせないくらいの展開を目指してみます。
後、あとがきは各章末尾のみ、前書きは無しという方向で。
あんまり長く話を出来る性分でもないので、ネタ投下も出来ぬままお暇しますか。
では失礼。
管理人より
しょうへいさんよりプロローグ3をご投稿いただきました!
おっ、カグヤが料理を……確かに宇宙での食は最低限の栄養摂取の意味合いが多そうですからね。
……さて、リーネはどうなるやら(爆)