――
日の変わりつつある深夜。
緑と紫、両儀の星明りが、寒々と冷えたきった大気と地表を満たす。
淡い光を避けるように一台の大型トラックが国境間際の岩陰で停車した。
荷台が大きく両側へと開き、中から夜間迷彩を施された三機のPFと一台の車両が姿を現す。
その一台の車両、指揮車両に乗るフェンナは、いつになく張り詰めた空気の中、汗をかいた肌にまとわりつくブラウスと下着に不快感を感じながら作戦開始の時を待っていた――もうすぐ、始まる。
「作戦開始十秒前。九、八、七、六、五、四――」
指揮車両の中からフェンナがカウントを数える。声が震えていた。
無理もない。これからヴァリムへと侵攻するのだ。
すでに実戦を経験したとは言え、それは安全な遠いところからオペレートをしていただけ、今回はもっと近い距離で戦闘に参加することになる。彼女自身が、命を瞬かせ閃光と共に消え去らんばかりに。
「――三、二、一。作戦スタートです」
カウントを終えると同時に数十キロメートル北の空が明るく瞬きだし、作戦開始を知らせる目に見えぬ電波が指揮車両に届く。
今、グレン小隊が鍵を握るギラ・ドゥロ補給基地攻略作戦が開始された
フェンナは暗視カメラから送られてくる景色を見ながら心の中で呟いた。
(今度はオペレーターの役割をしっかり果してみせる)
彼女に与えられた仕事は、中継とスケジュール管理だ――隊の先頭を行くグレンリーダーからの情報を、レーザー通信を使い、後ろから来るキースとアイリへと伝える役目。時間を計りグレンリーダーに進行速度の指示を出し、必要な地形データを送信する役目――。
国境が近づいてきた。
それにつれ、心臓の音は速く大きく、呼吸は浅く息苦しくなってくる。
実在しない国境線、彼女の目には見えていないのに、心の目には確かに見えていた。そして恐怖心と言う姿を借り、実在となり大きく圧しかかってきていた。
(あの向こうがヴァリム。敵が、侵略者がいる……)
ハンドルを握る手が震えだし、全身から汗が吹き出てきた。
「やぁっ!」
我知らず雄叫びを上げ、アクセルペダルを踏み込んだ。
指揮車両は国境に向かい全速力、禍々しい姿をとる壁を一気に突破。
自機を示す光点が地図の上を静かに移動している。無事にヴァリム領内へと入っていた。
無論、何の衝撃も音もなかった、実にあっさりとしたものだ。
「……ふぅ」
息をつくと、たかが国境線を越えるだけで妙に力の入っていた自分が情けなくなった――いけないいけない、しっかりしなきゃ。(え、あれ? 障害物?)
前方に障害物――グレンリーダーのJファーカスタムの足――が急に現れた。
めいいっぱい踏み込んでいたアクセルから足を離しブレーキをかける。
過重がフロントに集まり、体が前に投げ出されそうになる。
シートベルトが胸に食い込む。痛みが走り息が詰まった。まだ、車両は止まらない。
「きゃぁぁっ!」
ハンドルを右に切ると前方に荷重の乗った指揮車両は急旋回、なんとか衝突は免れた。
が、ほっとしたのもつかの間、大きな石に右前輪が乗り上げ車両の右側が宙に浮く。
そのまま横転するかと思いきや、車両は斜めになったまま片輪走行。絶妙のバランスを保ち走り続ける。
「わ、わわわ、わわ――」
必死になって右に左にハンドルを動かしていると、車両は徐々に速度を落とし、「わわわわ……っきゃ」
やがて、何事もなかったように地面に着地した。
ぽかんと口を開けて、完全に固まってしまったフェンナ――なに今の、なにがあったの?
『カルボキシリック0。どうした?』
スピーカーから聞こえてくるグレンリーダーの声。カルボキシリック0とはフェンナのことだが、気がつかない。
『カルボキシリック0。フェンナ?』
「あ、はい。以上なしです。なんでもありません」
自分の名前を呼ばれてようやく気がついた彼女は、ぼぉっとしながらも無線ではなくレーザー通信を使い、いっぽん調子な声で返事をした。
『大丈夫なら良いが……隊列は乱さないでくれ』
「ごめんなさい。隊列に戻ります」
急いで隊列に戻ろうと指揮車両を走らせ始めると、何か違和感を感じた。
いちおうまっすぐに走れているし異音もしない、車両に異常なさそうだ。
(……やだ、私ったら)
座席が生暖かかった。汗だけとは思えないほどぐっちょりと、下着とズボンが濡れている。
(どうしよう。着替えてる時間、はないか……スケジュール表からも目が離せないし、車も止められない。中継地点までこのまま我慢しなきゃ。でも、誰も見てないし……)
ふと、ある考えが浮かんだ。
真っ赤な顔をして、車内をきょろきょろと見回す。
(駄目駄目。やっぱり駄目。いくら誰も見てないからって、脱いじゃうのは駄目……任務に集中しなくちゃ。次の中継地点のAポイントは止まらずに通過だから、ゆっくり着替えられるのはBポイントね……たしか午前中には到着予定だったはずだけど……まだ日も昇ってないし……あと何時間?)
――
八時間後。
作戦開始前、不安で胸がいっぱいだったフェンナだが、もともと勉強家でみっちりとシミュレーションをこなしておかげだろう、何の苦もなく自然と作業を行えるようになっていた――ちょっとしたアクシデントの嫌な感覚を忘れるために作業に没頭していたとも言えるかもしれないが。
最初の中継地点であるAポイントはすでに通過。Bポイントは間際だ。
今は森の中で、時間にして十分先行しているグレンリーダーからの通信を、キースとアイリと共に待っていた。
『フェンナ、隊長からの連絡は?』
アイリがグレンリーダーが偵察に出てから合計八回目の質問を口にした。
「3、まだ1からの連絡はありません」指揮車両とアイリ機の間は数十メートル、間に割り込めば嫌でもわかる。たしかに盗聴されるような状況ではないが……。
「でも、規則は規則ですし、いちおう守らないと駄目です。いいですねカルボキシリック3。今の指揮権は私にありますから」
『もう頭固いなぁ、隊長そっくり』
そんな言葉を交わしながら笑い合う二人。なんとも敵中行軍に似つかわしくない会話だが、フェンナにとっては緊張がほぐれ、ちょうど良かった――アイリさん、私に気を使ってくれているのかな?
二人が会話を弾ませていると、グレンリーダーからの信号が入った。
「入電あり。2、3、進行を開始します」
『『了解』』
フェンナたちはアイリ機を先頭に行軍を開始。鳥の群れが動き出したPFに驚きいっせいに飛び上がった。鳥たちの飛び上がった先には電子機器の内臓を持った別の鳥が一羽……。
――
しばらく進むと、森を抜け、巨大な岩のある広場へと出た。
中継地点のBポイントだ。
「はぁ、やっとついた……」
フェンナは指揮車両の中でそう呟きそっと胸をなでおろした。すると、いままで任務遂行の一点に集中していた意識が周囲に拡散する。
まず、乾いたとはいえ不快な肌触りの下着とズボンが気になり、次いで車内の臭いが気になりだした。
戦闘で使われるどんな道具にでも「安全第一」を追求するアルサレア製だけあって機密性は高い。が、空調も万全を施してある。そんじょそこらの最新エアコンに以上の脱臭機能もついているし、空気は完全に入れ替わり臭いなどとうに失せている。服には染み着いているだろうが、人間の嗅覚でははっきり感じられる程ではない。
だが、どうも鼻の奥に臭いが残っている気がしてならなかった。
このポイントに到着しても、すぐに休憩とはいかず、やらねばならない作業があるのだが、それらは全て頭の外にほっぽり出されてしまい、
(どうしようかな……すぐにでも、服、洗いたいけど洗濯なんてできないし)
などと言う言葉が頭を占めていた。
広場の中央にある巨大な岩は中が空洞になっている。
PFが容易に入れほどの広さがある空洞だ。機体を隠すのには最適な場所といえる。
それはヴァリムにとっても同じようで、もともとはなんらかの施設があったらしく、それらしい残骸がいくつか見てとれた。
フェンナは横穴からその空洞へと車両を入れ、適当なところで停車。
メインスイッチを切りるとさっそく席から立ち上がり、荷物がつまったザックを開き、予備の下着を探しにかかる。
ズボンを余分に持ってきてなかったのが悔やまれるが、下着を替えるだけでもずいぶんと違う。ズボンを脱ぎ、狭い車内でなんとか下着を替え、再びズボンをはこうとした時、
「フェンナ、仕事まだ残ってるよ。通信切れてるみたいだけど、どうかしたの?」
声と共に、ハッチを叩く音が聞こえてきた。アイリだ。
ズボンはまだ膝までしか上げていない、こんな姿を見られたら大変だ。同姓とは言え恥ずかしいものは恥ずかしい。
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ!」
一声かけ、慌ててズボンを上げようとする、が。
何かに足を引っかけ、もつれ、ころんだ。それはもう派手に、思わずアイリがハッチを開けて中を覗いてしまうほどの音を立てて。
「どうしたのっ!?」
アイリの眼下には奇妙な光景が広がっていた。
それはちょうどこんな感じだ。
車内にぶちまけられたザックの中身、その中でちょうどお尻を突きだす形で運転席の上に“く”の字に倒れ、床におでこをくっつけ、ズボンを膝まで下ろし、頭の上にはパンツを一枚乗せた――もちろん下にはちゃんと履いている、別のパンツだ――女性が約一名。
訳がわからなかった。
だから、すぐにハッチを閉じた。
「……」
一体何が起こったの……それにあれって誰?「あの……み、見ました?」
いまにも消え去りそうな声でフェンナが言うと、アイリは髪を振り乱し激しく首を横に振った。だが、目の奥には先ほどの光景がしっかりと焼きついている。
「そう、よかった……」
嘘なのだが、どうやら納得してくれたようだ。
きっとオーバーアクションが効いたのだろう。と、勢いよく振り過ぎてふらふらする頭を片手で支えながら思った。
「そうだ、フェンナ。まだやることあるんだ。あの入り口のところにさ。トラップ仕掛けるのを二人でやっておいてくれって」
「はい、わかりました」
元気よく返事をしたものの、フェンナは顔を半分出したまま、出てこようとしない。
「……」
「……フェンナ?」
「さ、先に行っててください。すぐ行きますから」
「わかった」
本当はもう少し、頭のふらつきを落ち着けたかったのだが、まあしょうがない。アイリは慎重に指揮車両の屋根から下に降りた。
「あ、そうだ。後ろの荷台空けてくれる? 仕掛けるやつ、その中だから」
「はい」
指揮車両は、装甲車とトラックが融合したような形をしている。後ろの荷台部分には、食料や機材など、今回の作戦よりも長期の行軍に必要なものを載せられるだけの広さがある。
後ろの荷台が開けられるとアイリは必要な道具の入った箱を取り出し、地面に並べた。
「ひ、ふ、み、よ。うん、これでよし」
フェンナはまだ来ない。
「フェンナ、早く済ませちゃおうよ」
運転席の方から、荷台を通って外へ。やっと出てきた。どこか気恥ずかしそうに、内股でもじもじと、歩きにくそうに。
(どうしたんだろ? さっきの格好、頭のパンツ、恥ずかしそうな歩き方……あ、そっか)
アイリはフェンナに何が起きたのか理解した。最初の頃は良くあることだ。
さっきの格好をアイリは見ていないと言うが、どうも見られたような気がして恥ずかしくてならない。だから、外に出るのが遅れてしまった。
彼女は最初、自分を見て不思議そうな顔をしたが、急に納得したような顔になった。やはり、見られた気がする。
「っじゃ、フェンナは一個持ってね。あとはあたしが持ってくから」
そう言ってアイリは箱を三つ重ねて軽々と持ち上げた。フェンナは続いて箱を持つ、ずしりとかなり重かった。
(……アイリさんって力持ちなのね)
キースさんが良くぶたれてるけど、痛いんだろうな。などと思いながら歩き始めると、
「ねぇ、フェンナ。あれ、持ってこなかったの?」
アイリがすぐに口を開いた。
「あれ。ですか?」
「ほら、なんて言えば良いかな……月のものの時に使うのと、似たようなやつ」
……月のもの。
「あの、あ、え、ぇえ?」
「ひょ、表現が悪かったかな。いや、ほら……あの、今回の任務、長時間じゃない? だから、いわゆる、ね。その、あれの対策に……長い間、缶詰めなわけだから……ぁぁ、このさい、はっきり言っちゃえば、つまり、オムツ」
オムツ、シャトルで宇宙に行く時は欠かせない必須アイテム。
たしかに教本にも、ちらっとそう書いてある。そして、何も宇宙だけでなく、地上でだって必要な時がある。
特に敵陣を長時間行軍しなければいけない、つまり今回の作戦のような場合とか。
国境から、ここまでくるのに約八時間。
八時間もトイレを我慢するはちょっと厳しいものがある。我慢できないことはないだろうが、万が一と言うこともあり得るし、つければとりあえずは安心。よくよく考えればまさにオムツは必須アイテム。
だが、フェンナは見事にそのことを失念していた。で、失敗したわけだ。
「別に、答えなくても良いんだけど。ほら、さっきあんな格好してたし、もしかしたらそうなのかなぁって、まだ作戦長いしね。ははは……はぁ、ごめんね。変なこと聞いちゃって……フェンナ?」
アイリが振り返ると、顔を真っ赤にしたフェンナが目に入った。
「は、ははは……」
フェンナは自分でもなんだかよくわからないが、笑った。
「……ははは」
アイリも笑った。力なく。
彼女が前を向き歩き始めたので、フェンナも続く。
やや間があって。
「よかったら、あたしの予備使う?」
「はい……ところで、やっぱり見たんですね」
「ごめん」
それにしても、キースさんやグレンリーダーもオムツを使ってるのかしら?
頭に浮かんだ疑問を、忘れようとフェンナは足を速めた。
――
ドックフードのような匂いの漂う缶詰の中身を、スプーンでかき混ぜてはすくい、もどす。
得体の知れない動物の成型肉をすくい、もどす。
とことんまで遺伝子改良を施された豆をすくい、もどす。
その度に、どろどろとしたスープはべちゃべちゃと音を立て、もともと少ないフェンナの食欲をさらに減らす。
彼女の横ではアイリが同じものをさもおいしそうに口へと運び、頬張っていた。
「フェンナ、食べないの? 食べとかないと持たないよ」
アイリがスープを飲み干して満足げな顔で話し掛けてきたが、
「あ、はい……そうですね」
フェンナは返事をするもうわの空、レーションをいっこうに口へ運ばない。
グレンリーダーは仮眠中で、キースは見張りに立っている。
もう少ししたら、フェンナは仮眠をとり、アイリが見張りに立つ。
日はとうに沈み、これが今日の最後の食事の時間だ。
今のうちに食べておかないといけないのだが、どうにも食欲がわかなかった。ほんの数分前に聞いたアイリの話のせいだろうか。
フェンナが上を見ると、星々の世界の見える大きな穴があった。星は地上の鈍い光とは違い、澄んだ光を放っていた。
――あの穴、気になるの?
アイリの言葉が脳裏によみがえる。
「あれは前の作戦の時に開けた穴だね」
「前の作戦ですか?」
「そう、ここってさヴァリムの前線基地だったんだ。ほら、この中ってPFを隠しとくのにちょうど良いじゃない」
「そうですね。ちょうど今の私たちみたいに」
「でさ、グレン小隊も作戦に参加したの。今回の作戦ほど大掛かりじゃないけど、あれはあれでけっこう大きな戦果だったよ」
「……戦果ですか」
「うん。敵の前線を後退させられたし、この基地の広さを見ればわかると思うけど、ヌエを三十機近く撃破できたからね。それも大した被害も出さないで。うまく敵に気がつれないように接近できたからね。最初の一発目の特殊弾であの穴を開けてさ。すぐに気化爆弾を射ち込んだんだ」
「き、気化爆弾」
「そう、気化爆弾。あたし達が入ってきた入り口も閉じてたし、この中はあの穴以外には開口部がない状態だったからね。効果絶大、外から見ると穴から火柱が上がるのが見えたぐらい」
「何人ぐらいの人がいたんでしょうね……この基地に」
「うぅん、どうだろ。もろもろ含めてPF一個小隊あたり大雑把に約五十人いたとして、一個大隊はいたから……四百五十人ぐらいじゃないかな」
一連の会話の流れを思い出すと、沈んでいたイメージが再び浮かび上がってきた。
紅く染まる閉じた空間、衣服が燃えがり、人々の皮膚が膨れ、裂け、赤く染まる。全てが赤く。
火は思いのほか早く消える。
瞬きする間の赤い世界から一転して、世界は黒く、地獄の釜の底のような光景へと転じる。
壁面、PF、整備器具、そして、転がる黒こげ死体。死体の中にはまだ生きているのか、ゆっくりと蠢くものも。
黒焦げた死体の一つが、這い寄って来る。床に赤黒い自分の肉を残しながら前へ前へと。
空ろとなった目でフェンナを見上げ、……と呟く。
「フェンナ?」
われに返ると、アイリが心配そうな顔でこちらを見ていた。
「はい、大丈夫です。ちょっと考え事してて」
フェンナは再び天井の穴に目を向ける。星は雲に隠れていた。
「もしかして、さっきのあたしの話のせい?」
「そんなことないですよ……ただ、この基地で何があったのか想像したら、ちょっと怖くなっちゃって」
「……怖い、か。ごめんね。あたし、気がつかなくて」
「いえ、そんな、あやまらなくても」
「なんかさぁ、フェンナって話しやすいから、ついつい喋りすぎちゃった。まだ、フェンナは新兵だもんね……ぁぁ、やだな、ずいぶん鈍感になっちゃってるんだ」
「そんなことないですよ。アイリさん私に色々気を使ってくれてますし」
「ありがと……でもね。なんか、つくづく感じちゃう、あたしの身体も心も、戦場に馴染んじゃってるんだって。殺すとか殺されるとか、当り前になってるんだよね。殺すって言葉もめったに思い浮かばないもんね。たしかに殺人って言う言葉に嫌悪感は抱くけど、自分がそうしてるって実感ないんだよね。ニュースでさ、事故とかの話を聞くじゃない。たしかにそう言う事故は現実にあるんだけど、なんか現実感はないんだよね。PFで戦ってると、そう言うのと一緒で自分がやってることに現実感がないんだ。だから、平気でひどい作戦の内容も喋れちゃう……自分がしたことなのに、見に行ったアクション映画の内容でも話すみたいにさ」
「……」
フェンナは何も言えなかった。
「ぁぁ、ごめんごめん。また、喋りすぎちゃった。」
「そんなに、気にしないで下さい」
「はは、ありがと……ところで、それ食べないの?」
物欲しげな目でフェンナの缶詰を見るアイリ。
「よかったら、食べます? やっぱり、食べられそうもないですから」
「そう? じゃ、もらっちゃおうかな。へへ、一つじゃ足りないんだよね」
スープを受け取ると、アイリがおいしそうに食べ始める。
(アイリさんみたいにはなれそうもないな)
――
九時間後。まだ日が昇るには早い時刻。
ギラ・ドゥロ補給基地近くの森の中にフェンナの乗る指揮車両の姿があった。
辺りにグレンリーダーたちの姿はない。彼らはより基地に近いところで身を潜めている。
フェンナは指揮車両から離れ、小高い丘に登り、敵基地の隠されている楕円形の形をした巨大な一枚岩を双眼鏡で監視していた。
既に、陽動部隊がミラムーン側からヴァリム国内に進行しギラ・ドゥロ補給基地に背中を向け戦闘を始めている。
後は問題のオーガル・ディラムが、レガルト小隊とミラムーン製PFゼムンゼンと言う餌に誘き出されるのを待つだけ。
そう、彼女は巨大空中空母が動き出すのを待っているのだ。
早起きな鳥たちや、虫たちのささやき声を聞きながら巨大な岩も見ていると、フェンナは不安になってくる。
辺りには似たような岩が二個三個点在している。
いま自分が監視している岩の内部に本当にヴァリム補給基地が、巨大な空中空母が隠されているのだろうか?
軍から提供されている情報によれば基地があの岩山の中にある事は間違いない。だが何処から見ても――カモフラージュが施されているのだからそう見えるのは当り前なのだが――自然の岩山。
B地点で実際に似たような一枚岩の内部にPFを隠し、数時間過ごし、頭ではあれが敵基地だとわかっていても、あの中に巨大空母が格納され、何十機と言うPFと何百人と言う人間が働いているとはなかなか実感できなかった。したくなかった。
「本当にあれが基地なのかしら?」
監視を始めて五回目の独り言。
普段あまり独り言を言わない彼女だが、気持ちを落ち着かせようと自然と声が漏れてしまうようだ。
何度も小動物が揺らすがさがさと言う草の音に身をすくませ時を過ごし、鳴いている虫たちの種類が変わった頃、フェンナは何かが動くような音と揺れを感じた。
あまりに微かだったために錯覚かと思えた。
白い息をゆっくりと吐き出しながら耳を澄ます。
気がつくと先ほどまで鳴いていた虫や鳥たちの声が止み、辺りは僅かな風でこすれ合う葉音だけが満ちている。
その音に隠れるようにして先ほどの音はまだ続いていた。何かを引き摺るような、地の底で何かが動いているような音。
問題の岩山を見ると、上部から横に広い範囲で湯気が立ち上っていた。まだ日は昇っていない。岩の向こう側に泉があると言うこともない。
不自然な湯気、人工の湯気。
フェンナは双眼鏡で岩よく見る。
最初は湯気が上がっていただけであったが、やがて辺りの空気が震えだし、何かが岩の中から現れた。それはゆっくりと徐々に姿を現す。
オーガル・ディラムだ。
空中空母がその全様を現した時、フェンナは思わず、
「なに、あれ、は……」
言葉を漏らし、全長五百メートルを超える巨大な人工物が空に浮かぶその姿に寒気を覚えた――物を破壊する道具でしかない兵器、他者を捻じ伏せ己が意を通すための手段、肥大化した人間の悪しき本能、戦禍で肥太った過ぎたる欲望、それらの象徴。
恐怖とも怒りとも、喜びとさえ取れかねない感情の高まりで生じた「すぐにでも指揮車両の中に駆け込みたい」と言う衝動を抑え、その場にとどまり動向をうかがう。
だが、オーガル・ディラムが巨石の上で方向転換しこちらに真っ直ぐ向かってくるのを見ると、転びそうになりながらも丘を駆け下り、森の中へと入り、木の影に身を隠さずにいられなかった。
オーガル・ディラムがすぐ真上を通る。
どのような手段で飛んでいるのかわからないが音は静かだ。それが不気味に感じる。
視覚的には巨大ではっきりと存在感があるのに、それに似合わず起てる音が小さいためにその存在感に現実味がない。幽霊でも見ているような、そんな印象を受けフェンナは身震いした。
やがて巨大な亡霊は南東の空へと姿を消す。陽動部隊が戦闘を行っている方角だ、陽動は成功したと考えて良いだろう。
木の影から辺りの様子を窺うと、息を止め指揮車両へと全速力で駆け出し、中へ入る。ハッチを手早く閉めると、そこでようやく息を吐き出した。
首から掛けていた双眼鏡を放り出すと、腕時計のタイマーを十分後にセット。時を待つ。
オーガル・ディラムが出撃してから十分後、フェンナがグレンリーダーに通信を入れる予定になっている。それが突入のタイミングだ。
しばらくカウントを続けるデジタル表記数字を眺めている内に自分が大事な仕事を忘れている事に気がついた――オーガル・ディラムが戻ってくるかどうか見張っていないとっ!
勢いよくハッチの扉を開き、基地を監視していた丘へと駆け昇る。
オーガル・ディラムが去り、辺りでは再び虫たちが鳴き出し、一枚岩の上から湯気は消え、全ては元通りになっていた。幻でも見ていたような気分だ。
だが、刻々と進む腕時計のタイマーが幻でなかった事を物語っている――ともかく、監視を続けないと。
監視対象の巨石に目を留めながら、首に掛かっている双眼鏡を取ろうとしたが、手に伝わってきたのは冷たい双眼鏡の感覚ではなく、柔らかい肉の感触。
視線を移すと自分の手で、自分の胸を掴んでいる。
慌てて手を離し、辺りを見回すと頬を紅くし、フェンナは全速力で指揮車両へ双眼鏡を取りに駆け戻った。
目をつぶっていたグレンリーダーの鼓膜を電子音が揺らす。
モニターを見るとコールサインが灯っている。つなぐとフェンナの声が聞こえてきた。
『カルボキシリック0よりカルボキシリック1へ、石見銀山猫いらず』
突入の合図だ。
「了解。俺が先行する。2は援護。3は敵機の警戒だ」
『2、ラジャー』『3、了解』
三機のPFは隠れていた場所から一機に飛び出し、ブーストの軌跡を残しながらナビゲーションソフトの指示通りに目標の巨石、PF搬入口を目指す。
移動を始めてすぐにロックオンを知らせる警戒音がコックピットに響いた、薄い緑色の映像が映る正面モニターに赤く“connon”の文字が灯る。
地面の下に隠されていたらしく次々と新たな砲台が姿を現すが、グレンリーダーは移動速度を落とすことなく、的確にそれらの防衛設備を破壊して行く。しかし、彼のJファーカスタムに装備されている射撃兵器は散弾を放つショットガン。連射性集弾性ともに劣るため、いかに彼の腕がよくとも砲台を撃ち漏らしてしまう。それをキースがスマートガンでカバーし、砲台を尽く破壊して行く。アイリに出番はなかった。
「2、3。後は任せたぞ。敵勢力を排除しこの場を確保するんだ」
『Yea』『了解』
PFの二倍はあろうかと言う巨大な隠し扉。
グレンリーダーはそれを工作員が入手した暗証コードを乗せた電波により開き、ギラ・ドゥロ補給基地内部へと勢いよく飛び込む。スピーカーから「隊長、気をつけて……」と言う声が流れたが彼の耳には届かなかった。
薄暗い照明の通路を百メートルほど進むと、長方形にくりぬかれた地肌の露出している広い空間に出た。
機体を立ち止まらせ、辺りの様子をうかがう。
(……妙だな)
グレンリーダーはいぶかしんだ。
奥行五十メートル、横幅十五メートル、高さ三十メートル、天井に照明が備え付けられおり部屋は明るい。
妙な点は、室内に何もない事だ。
運搬作業に使う機械、コンテナ、見事に何もない。
地面に長時間重い物が置かれていたと思われる痕跡があることから、倉庫であろう推測できるのだが……。
(おかしい。この部屋には何故何も置かれていないんだ? 倉庫ではなく、ただの通路だとしても広すぎる……まさか、ヴァリムは俺達の襲撃を知っていた? 既にこの基地は放棄する準備が整っているのか?)
胸中で不安が鎌首をもたげる。
(こちらの動きがばれているとなると、これは罠か。だとしたらフェンナッ! キース、アイリ……)
彼は衝動に駆られ機体を反転、元来た道を引き返そうとしたが、
『ラットよりアセティック、アセティック』
不意に入ってきた通信が彼を引き止める。
(ラット、工作員か)
『ラット、アセティック』
「こちらアセティック。ラット」
『今からそちらにデータを送る。ナビゲーションシステムを立ち上げておいてくれ』
「了解」
言われたとおり、ナビゲーションシステムを立ち上げる。
メインモニターの隅にナビの情報ウィンドウが開かれ、そこにデータ受信中の文字と終了予定時間――“one miuntes”――が表示される。
ただのナビゲーションデータのはずだが、それにしては時間が掛かる。
(罠だろうが何だろうが、今更引き返せないか……キースとアイリは何とかなる。だがフェンナは……無事だと良いが)
『必要なデータは送信した。ところで通信テストは行ったか?』
「いや、まだだ」
『……』
スピーカーから溜息のような音が漏れてきた。
『通信は不可能なはずだ』
「通信不能か。となればマッピングが必要だな」
予め予想されていた事ではあるが、それはグレンリーダーが無事に基地の奥まで行き、目的地である燃料貯蔵庫の位置を確認。そして、基地から無事に脱出しなければならないと言う事を意味していた。
通信が可能であるならば、燃料貯蔵庫までPFで侵入し、自ら電波を発するマーカーをセット済むのだが、通信が通らないとすればそうはいかない。
基地入り口から燃料貯蔵庫までPFで進みながら測量を行い立体的な地図を作成。
基地から脱出後、マーカーをセットし、作成した地図を元にしたマーカーの位置誤差修正データをフェンナの搭乗する指揮車両を経由し砲撃隊へと送り、燃料貯蔵庫の正確な位置を知らせるのである。
測量はPFに備え付けられているソフトさえ立ち上げれば後はコンピューターが勝手にやってくれるので楽ではあるが、少々時間が掛かってしまう欠点がある。だが、それしか方法がないのだから仕方がない。
グレンリーダーは地図作成ソフトを起動した。
倉庫奥にある重く巨大な扉が開き、白を基調とした細身のフレームで構成された見たこともないPFが三機。
「……あれがイリアか?」
グレンリーダーは呟いた。
それに反応するかのように、
―― EnemyPF:I・Ria
―― EnemyArms:LaserSpear
―― :LaserPistol
モニターにデータが表示される。
ヌエなどに比べれば明らかに登録されているデータは少ない。グレンリーダー自身初めて遭遇する敵だ。慎重に敵の性能を探りながら戦うのが定石だが彼は、
(……時間が惜しい)
突貫。
恐れる事もなく、真正面から突撃した。
三機のイリアは一斉に手にしたレーザーピストルを構え、矢継ぎ早にレーザーを放つ。
レーザーが放たれた時、既にグレンリーダーは機体を横にスライドさせて回避行動を行っていた。
通常のPFが装備する実弾兵器ならば十分に回避が間に合うタイミングだ。
だが、レーザーの速度は早い。
――damage
モニターに警告メッセージ。
レーザーが命中したのだ。
着弾時の衝撃はない。その事が彼に不快感を抱かせた。
(……レーザー全盛期時代、か。ゲームの世界だな)
グレンリーダーは一機のイリアに狙いを定め、不快感を振り払うように雄叫びを上げると機体をさらに加速させる。
(あと少し、あと少し……きたっ!)
ショットガンの有効射程距離内に入ると、右端のイリアに向け連射。
PFの性能から見れば、弾速が遅く早めに回避行動を取れば優々と避けられる実弾兵器だが、ショットガンは放射状に弾が広がる。マシンガンなどに比べ命中率は高い。そして何よりもレーザーとは違い着弾すれば衝撃を与え、敵の動きを一瞬止める事が出来る。
散弾一発当りのストッピングパワーは他の実弾兵器に比べれば低いショットガンだが、機体重量が軽いイリアには十分な効果を発揮した。
ショットガンをまともに受けたイリアは攻撃の手を止め、回避行動に移ろうとした。だが、一度足を止められた後ではそれは遅すぎる、二射目の散弾をまともに受けイリアはその場に崩れ落ちた。
距離をつめたグレンリーダーにリーダー機と思しきイリアがレーザースピアを振るい、襲い掛かってくる。
彼はこれを紙一重でかわし、横を抜け様に切る。そして、もう一機のイリアに向けショットガンを放つ。
命中。
動きが止まった所をレーザーソードを一振り。
撃破。
後ろを振り返り、先ほどレーザーソードで抜け様に切ったイリアに止めを刺す。
敵勢力沈黙。
(敵は後どれ位いるんだろうな……)
『ダウンロード完了。音声案内ヲ開始シマス。E−07ノ扉ニ向カッテクダサイ』
(今は先に進むしかない。みんな無事でいてくれよ)
『E−07ノ扉ニ向カッテクダサイ。E−07ノ扉ニ向カッテクダサイ』
グレンリーダーが基地内部へと侵入して十ニ分。
脱出路の確保に当っているキースとアイリは、周囲の砲台を全て破壊し終え、彼の脱出を待っていた。
辺りは戦場だと言うのに不気味なほど静かだった。
「隊長、大丈夫かな……」
今頃、基地内部で激しい戦闘を行っているであろう隊長を思い、アイリは不安げに呟いた。
『アイリ、敵さんのお出ましだっ!』
キースの言葉にはっとし、レーダーに目をやり、すぐに敵の方を向く。見たことのない敵機、四機のイリアがモニターに映し出される。
「ヴァリムの新型? でも、隊長が戻ってくるまでここを守らなきゃいけないんだ。いくよキースッ!」
射撃でお互いに二三軽い挨拶を交わし終えるとアイリが突撃した。
敵はそれに対し冷静に、後ろへ下がり距離を取る。そして手にしたレーザーピストルで彼女を迎え撃つ。
数発のレーザーを受けJファーの装甲表面が赤熱する。
『アイリ、下がれっ!』
衝撃も音もないレーザー。
警告メッセージも警告音も発せられていたが、熱くなっている彼女は彼のその声を聞くまで、自分が攻撃を受けていることに気がつかなかった――まっずったぁ。
距離をとろうと下がるが、イリア達はターゲットをアイリに絞り逃がすまいと距離をつめる。
キースがカバーに入りイリアを牽制するが敵は四機。
腕が良くとも短時間で行える行動にはおのずと限界がある。二機の敵をアイリから引き離すのが精一杯であった。
キースが一対二の状況を作り出し、アイリが撃破されるのを防いだものの二人は分断され、非常に不利な状況に変わりはない。防戦を強いられ、じわじわとダメージが累積し行動不能に陥るのは時間の問題であった。
二機のイリアが右に左に、前に後ろに、現れては消えレーザーを浴びせかける。
アイリは少しでも敵の足を鈍らせようとマシンガンの弾を周囲にばら撒くが、まったく効果が上がらない。
(こんな所で、こんな所で――)
敵への苛立ちを、目の前の敵に翻弄される自分の不甲斐なさを、奥歯で噛み締め、
「――負けるもんかぁっ!」
アイリは吠えた。
『馬鹿っ、無茶はやめろっ!』
キースの制止を聞きもせず、強引に状況を打開しようと全速力で距離をつめる。
すでに勝ちを確信していたのか、敵は虚をつかれ、予想外の行動に動きを鈍らせた。しかし、それでもレーザーピストルでの迎撃だけは行う。
数発が直撃するも着弾時の衝撃がないレーザーであるが故に、オーバーヒートの警告音を無視して猛進するアイリの動きは止められない。
Jファーが左手のレーザーソードを大きく振りかぶり、斬り下ろす。
イリアの右肩から深々と胸の辺りまで光の束が食い込んだ。
動きの止まったJファーに一撃を、ともう一機のイリアが右側面から接近。レーザースピアを突き立てようと腕を引く。
その動きに気がついたアイリは、Jファーにレーザーソードを離させ、近づく敵の方を向かせると右足を一歩踏み出させ、ほんの少し間を置き腰部を左回りに旋回させるとほぼ同時に右腕を突き出させる。ちょうど突きを放つような感じだ。
Jファーの腰が沈み、右手に運動エネルギーが集る。
イリアの頭部にサブマシンガンの銃口がめり込んだ。
と、その瞬間。
サブマシンガンのマガジン内の弾薬が爆発。
イリアの頭部とマシンガンもろともJファーの前腕が吹き飛んだ。
敵は頭部を破壊されながらもまだ後ろに下がりつつ、レーザーピーストルを構える。
「逃がすかぁっ!」
アイリはさらに左拳を叩き込まんとブーストペダルを踏み込んでJファーに鞭打ち追撃させる。
が、唐突にブーストノズルの火が消えJファーの速度が急激に落ちてしまう。オーバーヒートだ。
頭部を失ったイリアがここぞとばかりに反撃を開始。しかし幸いにも頭部を失っているためにWCSが正常に機能せず照準はでたらめ、ブースターが使えずとも避けられない事はなかったが、避ける事しかできない状況だった。
『Damn it! 一機行ったぞ』
「こんなときにぃっ!」
叫んだ所で機体の動きは早くなる訳もなく、冷却の進行具合を示すゲージは遅々として進まない。
キースが逃がしたイリアがすぐ近くまで迫る。
『なに呑気に歩いてるっ!?』
そのすぐ後を追うキース。さらに彼の後を追う、もう一機のイリア。
「オーバーヒート、してんのよ」
Jファーにジャンプをさせ、アイリが不機嫌そうに言う。
『What? 無茶するからだ。さっさと逃げろ。基地の中に逃げ込め』
キースは頭部を失いアイリ機に固執していたイリアの背中にスマートガンを撃ち込む。撃破。
ぴょんぴょんと跳び回って逃げるアイリ。
それを狙う二機のイリア。
アイリの盾になりながらイリアを牽制するキース。
いま自分が引かねば彼が窮地に陥るのは目に見えている。だが、
「逃げるわけにはいかないのよっ。あたしは、あた――」
『馬鹿野郎っ! くだらねぇ意地はってんじゃねぇ。頭冷やせ、俺らがやってんのは子供の喧嘩じゃねぇんだぞっ!』
冷却が終了しブースターが使えるようになっても、レーザーソードを手放しサブマシンガンを失ったJファーはもはや微々たる戦力。どちらにしろ一旦下がりキースの負担を減らす事が最善だ。しかし、
(冷却が終われば……)
兵器を持たなくとも左腕一本で敵の一機や二機、落とす自信はある。
アイリはこのまま冷却が完了するまでは粘るつもりだった。ところが、進行具合を示すゲージがどう言う訳か途中で止まっていた。
原因はわからない、単に正常に表示されていないだけなのか、ブースターが壊れたのか、冷却液がもれているのか、いずれにしろ、
(……もう、無理か)
それは明らかだった。
留まるのは百害あって一理なしだ。
「キース、下がらせてもらうね」
『早く行け、俺もすぐに下がる』
その場を後に敵基地の中へとアイリは逃げ込んだ。
森へ逃た場合、追撃されて逃げ切る事もかなわず敵にやられるのみ。何よりも中に入ったグレンリーダーの退路が完全に断たれる事になってしまう。
基地の中ならば多少の障害物もあるだろうし内部の敵はグレンリーダーの方へと向かっている可能性が高く、遭遇する可能性は低い。危険な賭けだが追い詰められた状況下、敵基地へと逃げ込むしか選択の余地はなかった。
通路を逃げながら、アイリは冷静さを欠いた自分を情けなく思い。
「あたしの……馬鹿」
奥歯を噛み締め喉の奥から声を漏らした。
(あたしの機体もキースの機体も、もう限界……どうすれば良いのよ)
PFがちょうど一機通れるだけの横幅を持った通路を抜けると、広い部屋に出た。
敵影はない。
部屋の奥には通路がありその手前にPF三機分の残骸がある。先ほど外で戦っていた機体と同じようだ。
(隊長が撃破したんだ、一人で三機も……やっぱ隊長は凄いや。隊長が来てくれれば何とかなる――)
隊長の足手まといにならないと心に決めたにもかかわらず、窮地に陥れば当り前のように頼っている自分に気がつき苦笑した。目頭が熱くなってくる。
(――駄目だなあたし……こんなんじゃ、隊長の力になるなんて無理だ)
アイリが入り口のすぐ脇で待機していると、部屋に所々痛々しく赤熱したキース機が飛び込んでくる。
(キース、ごめん……)
『ひゅぅ。やばかったぜ、あぶねぇあぶねぇ。へへ、生きてっかアイリ? パーティはこれからだぜ』
自分のせいで死にかけたと言うのに。何時もの軽いノリの言葉が嬉しかった。
『おい、大丈夫なのかアイリ。生きてんなら黙ってないで何とか言えよ』
「大丈夫、生きてる」
『お前、泣いてんのか?』
「……」
視線を下に降ろすと、ぽつぽつとズボンが濡れていた。
「泣いてなんかいないわよっ!」
『Sorry sorry 怒鳴る元気がありゃ大丈夫だな。さて、中身は元気そうだが機体の方はどうだ? まだいけるか?』
モニターには相変わらずブースター冷却中の表示がされていた。他にも冷却液、モーター類様々な危険を知らせる表示がされている。
「ブースターは完全に駄目みたい。他の箇所もほとんど限界……装甲はまだ持ちそうだけどね」
『俺の方は、装甲がもう駄目だな……どうしたもんかねぇ、外の二機に玉砕覚悟で挑んでみるか』
アイリは迷わず、反射的と言っても良いほどすばやく。
「こうなったら、玉砕ね」
『ぉぃぉぃ……冗談だよ。ほんとに玉砕する気だったらわざわざ基地の中に逃げやしないって、お前だってそんな気ないから、ここに居るんだろ』
「っう」
隊長のためなら命をもいとわない、などと常々思っていたが、さきほどの玉砕の機会をあっさり逃していた、どうやら自分は命が惜しかったらしい。
(ほんとあたし、情けないな)
と、アイリは勘違いした。
『っま、死ぬのは何時でもできるし誰でもできる。俺たちゃ一応プロだからな、まずはやれることをやり尽くさないと……とりあえず、降参でもするか?』
「冗談じゃないわよ。い、や、よっ!」
『そんじゃ、我らが救世主、グレンリーダーでも待つか』
「それは……」
隊長に助けて欲しい、でもやっぱり隊長に迷惑かけたくない、足手まといになりたくない、それでも隊長に助けて欲しい。
頭の中で目まぐるしく変わる考えと情けない自分を吹き飛ばすように、
「やだ……絶対に、やだっ!」
『そんな、でかい声出すなよ、耳がいかれちまう』
アイリは少し黙って、自分なりにどうすればいいか考えてみた。
降参、グレンリーダーを待つ――心情的に嫌なので却下。
玉砕――いまさらできない。
さらに基地の奥に逃げ込む――逃げるのはやだ。
未来への道は自分の力で進むもの、障害は拳でぶち壊す……けっきょく戦うしかないか――機体がもう限界。
じゃあ、素手で――PF壊せるわけないもんね。
やっぱり玉砕――いまさらできない。
結論、打つ手なし――そんなのやだ。
「あぁ、もうどうすればいいのかわからないよっ!」
『降服に決まりだな』
「え?」
『おぉい、ヴァリムさんよ。こちらはグレン特務小隊キース=エルヴィン、もう降参だ。今から外に出てくから撃たないでくれよ』
言うが早いか、止める間もなくキースは外の敵に向かってスピーカーで降服を宣言すると、PFに武器を捨てさせ、外へ向かいはじめた。
「ちょ、ちょっと……」
『アイリ、変な事すんなよ。おとなくしてりゃ、殺されやしないって』
アイリは仕方なく、キースの後に続いた。
(こうなったら、玉砕しかないよね)
などと心中でつぶやきながら。
外に出るとイリアが二機、レーザーピストルを構えて待っていた。
今度こそ、玉砕と思っていたアイリだったが、いざ敵を前にすると、兵士としての経験から彼我戦力差を計算し、こりゃぁ玉砕は無理だわ、とあっさり結論づけてしまった。
玉砕は冷静な判断力を持ってできるものではない。
キース機が入り口を塞ぐような形で立ったので、アイリは自分の機体をその横に並べた。
『二機とも、片膝を着かせてPFを停止させろ』
キースが敵の言うとおり片膝を着かせたのを見て、アイリはしぶしぶながら彼にならおうとした。 その時、キース機の頭上を何か長いものが通り過ぎ、一機のイリアに突き刺さった。
「槍っ!?」
それはイリア達に装備されていたレーザースピアだった。
アイリ同様、何が起こったのかわからず呆然と立ち尽くしているもう一機のイリアにキース機が躍りかかり、地面に打ち倒し、何度も拳で打ち据える。
『よぉし、いっちょあがりっ!』
あっという間に事態は好転した。だが、何が起こったのか。
「な、あ、え、う、は?」
『大丈夫か、アイリ』
言葉になっていない声にアイリに応えたのは、キースではなかった。
「隊長っ!?」
通路から、グレンリーダーのJファーカスタムが姿を現した。
『いやぁ、隊長。さっきの見事なコンビネーション。やっぱり俺達は最高のタッグだな』
『はは、そうだな』
「でも、隊長……どうやって」
『聞いて驚くなよ、アイリ』
「あんたには聞いてないわよ、キース」
『簡単だよアイリ、二人が会話しているのが聞こえてきたから、キースの個人回線に文字だけ送ったんだ』
『っそ、「こちらで合わせる、敵に降服しろ」ってな』
たしかにPFはそういった機能がある、方法としては納得。だが、
「どうしてあたしに送ってくれなかったんですか?」
不満だった。
『そりゃお前、誰がどう考えたって冷静じゃなかったし、お前向けの作戦じゃないからだろ』それは、大好きな隊長のせいです……などとは、口が裂けてもいえなかった。
「次は冷静でいますから、あたしに送ってくださいね」
『あぁ、次は頼むぞ。そのかわり、玉砕なんて考えるんじゃない。作戦行動中は部下の命は隊長である俺が預かっている、俺には守る責任がある。だから命令する、かってに死ぬことは許さない、いいなアイリ』
「はいっ!」
グレンリーダーは小隊長としてそう言ったのだが、アイリの脳には「お前は俺のものだ、かってに死ぬな」とでも解されたのだろう。
瞳にハート型の光でも浮かびそうなほど、うれしそうに返事をした。
『さぁ、時間もない、ギブソンを待たせてるからな。フェンナに連絡を入れるぞ……アセティック、カルボキシリック0応答を。カルボ――』
――
『アセティック、カルボキシリック0応答を。カルボキシリック0応答を。こちらアセティック』
指揮車両の中、ただじっと待たねばならぬ不安を押さえつけるように、膝を抱え、硬く閉じた目から涙を漏らしていたフェンナの耳に、グレンリーダーの声がとどいた。
彼女はすぐに応答する。
「こちらカルボキシリック0。よかった無事だったんですね」
『あぁ、なんとかな。データを送る、転送を頼む』
「はい……あのマーカーは?」
『入り口にセットした。そちらでも確認できるはずだが』
「え……はい。確認しました。セットされてますね」
『では、転送を頼む』
「了解」
「送信完了です」
グレンリーダーにそう言うと突然、寒気に襲われた。鳥肌が立ち、顔が引きつる――私、今……送信、した、の?
当たり前の事をしただけ。
だがフェンナはショックを受けた。何の意識もなくただ言われたからそうした、その結果を想像して――こんな簡単な事で、多くの人の運命に幕を落とさせてしまうなんて……人間の命を、こんなに軽く扱ってしまうなんて。
『ギブソンリーダー、データは送信した。後は任せたぞっ!』
『遅〜〜いっ! 待ちくたびれたぞい! ちゃっちゃと引っ込めい!!』
『……やな感じぃ』
『そう言うな。あれでも支援砲撃に関しては超一流なんだ』
『っま、俺達の努力が無駄にならない事を祈ろうや。そんな事より早く引き上げようぜ。巻き添えはごめんだ』
これから大勢の人間が死ぬと言うのに皆の声は、任務を達成したよろこびを感じているのだろう、嬉しそうですらある。フェンナにはそう聞えた。
息苦しさを感じた彼女は、イヤフォンマイクを外しハッチから顔を出す。
上を見上げると、明け方の清々しい空を気持ち良さそうに泳ぐミサイルが目に飛び込んできた――あれはっ!?
それがギブソン中隊が放ったミサイルだとすぐにわかった。
ミサイルは迷うことなく正確に、フェンナが送信した目標地点、ギラ・ドゥロ補給基地のある一枚岩のちょうど真中あたりに着弾。
その瞬間、フェンナは激しい爆音と巻き起こる土煙を想像した。が、それは起こらなかった。
「不発弾?」
呟きと共に爆発が起こった。
爆炎こそ上がらなかったが、大地が揺れ土煙が高く上る。
想像していた物に比べずいぶんと地味な光景に拍子抜けしたフェンナだが、砲撃の本番はこれからであった。
辺りに鳴り響く大気を引き裂くような甲高い音。
彼女が再び上を見上げると、何百と言うおびただしい数の砲弾が飛んでいた。
着弾。
フェンナが想像していた以上の光景がそこに生まれた。
筆舌に尽くし難いけたたましい音をたてて大気が爆ぜ、まるで火山が噴火したかのように一枚岩が天辺から火を吹く。
先日、初めての実戦で弾け散る光の一つ一つに命の散華を見たフェンナ。いま目の当たりにするそれらが束となった天を焦がす火柱に、絶叫することしかできなかった。
「――」
喉を震わせ叫んでいるはずなのに、連続的に起こる爆音で自分の声すら聞こえない。いや、叫びが声にもなっていないのか。
鼓膜を震わせる大気の悲鳴、眼球に焼き付く爆炎、目の前のおぞましい現実が、いやにはっきりと知覚できた。
時間経過と共に上昇気流で火柱は高く赤々と、大気の悲鳴はマンドラゴラの断末魔へ、砲撃はさらに激しく。
それを見ていると今度は下から吐き気が込み上げてきた。
指揮車両から降り覚束ない足取りで茂みの方へと向かい、木に手をつき、フェンナはそこで吐いた。
地面に半ば溶けかけたレーションが落ちると、一斉に虫が群がって来る。
もう一度吐く。
さらにもう一度。
胃の内容物を全て吐き尽くしても、吐き気は収まらなかった。
もう一度。
さらにもう一度……。
吐き気が収まりハンカチで口を拭くフェンナ。何時の間にか砲撃も止んでいた。
涙の浮かんだ目を下に向けると自分の吐しゃ物から虫が這い出てくるのが見えた。
彼女は「っひ」と短く息を吸い込み尻餅をついた。自分の胃からその虫が出てきたと勘違いしたのだ。
すぐに離れようとしたが、腰が抜けて動けない。
足の指先に奇妙な感覚を覚えた。
さわさわと細い物で撫でられている感じだ。
それは段々上へと上がって来る。
その内に撫でている物がその数を増しぞわぞわとした感じへ、そう、ちょうど虫が這っている様な、フェンナの感覚はそれを虫だと判断した。
靴の中を、靴下の中を、ズボンの中を、皮膚の下を這い上ってくる何百と言う小さな虫たちの感覚。
目に見えるわけがないのだが、彼女はそれを見た。
逃げ出したいのに逃げ出せない、虫たちが恐怖に耐えるフェンナの膝辺りまで来た時、体はようやく動くようになった。
(立てる)
と、心に思うよりも早く体は動き出し指揮車両へと向かった。
だが、全速力で走っているつもりなのに、手足はてんでばらばら勝手に動き回った。その結果、走れずに地面を這ってしまう。
ようやく指揮車両についた時には体中が土で汚れていた。
タラップを昇りハッチに入ろうとすると視野の隅に何かが入ってきた。
そちらを見ると、鴉が一匹。
別に珍しくもないフィアッツァ大陸のどこにでもいる鳥だ。フェンナもそれは知っていたが、ヴァリムにも鴉がいる事を初めて識った。
一鳴きすると鴉は空に飛び立つ。
目で追うと、火が見えた。
砲撃の時の恐怖が一瞬蘇ったが、すぐに正気を取り戻しその火元を見る事ができた。
森だ。
森が燃えている。
砲撃の影響で森に火がついたのだろう。火はまだ遠いがすぐに逃げねば巻かれてしまいかねない。
『0、カルボキシリック0、フェンナ。応答して、フェンナッ!』
「アイリさん?」
何処からかアイリの声が聞こえてくる。辺りの森を見渡すが当然その姿はない。
『フェンナッ! どうしたのよ。何があったのっ!? 作戦は上手くいったんだよ。応答して。早く撤退しないと……フェンナ……キース、フェンナどうしたんだろ……まさか』
『大丈夫だ。いま隊長が向かってんだろ。とにかく呼び続けるっきゃない』
声は下から聞こえてきていた。
ハッチから覗くと、床に投げ出してあるイヤフォンマイクから音声が漏れていた――なんで気がつかなかったんだろ。私、気が動転してるのかしら。
緩慢な動作でハッチの中に入ろうとした時、後ろから木をへし折る激しい音がした。
びくっと肩を震わせ、強張った体をゆっくりと振り返らせる。
『フェンナ、大丈夫かっ!?』
外部スピーカーで話しかけてくるグレンリーダーのJファーカスタムが立っていた。
「はいっ!」
フェンナは自分でも驚くほど元気の良い声で返事をした。
『通信機が壊れているのか? 連絡が途絶えた。撤退するぞ。火の周りが早い、急いだ方が良い。車が動かないならこっちに乗れ』のろのろと指揮車両の中に入りイヤフォンマイクをつける。
『フェンナ。応答してよ、フェンナ』
「はい、こちらフェンナです。」
エンジンをかけながら返事をする。
『フェンナ?』
「どうかしましたか?」
『どうかしましたかってそんな呑気な……通信がつながんなくて、それで……そんな事よりも、早く撤退、合流ポイントに向かって。作戦は成功。後は引き上げるだけだよ。いま隊長がそっちに向かってるから一緒に――』
「グレンリーダーには会いましたよ」
『そう、良かった。ともかく急いで撤退を』
「はい。カルボキシリック0、撤退を開始します」
自分が喋っていると言う感じがせずどうにも奇妙だ。
ハンドルを握る感覚も厚いグローブでもしている様に感じる。アクセルをいっぱいに踏み込むと、指揮車両は唸りを上げ全速力で駆け出した。
障害物や激しい揺れなど気にもせず、どんどんと加速し合流ポイントへ向かって走る指揮車両。
運転していると目に涙が浮かんできた。袖で拭うが後から後から溢れてくる。
(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい)
心の中でわけもわからずそう呟きながら。
――
数時間後。
合流ポイントまで敵と遭遇する事もなく到着し、グレン小隊はギブソン中隊と合流した。
オーガル・ディラムは陽動部隊との戦闘中にギラ・ドゥロ補給基地の異変を察し、すぐに撤退を開始。巨大空中空母に損傷らしい損傷は与える事ができなかった。しかし、戦闘データを得る事ができた。アルサレアとしてはまずまずの戦果と言えよう。
合流地点。
フェンナは指揮車両の屋根に腰掛け、撤退準備に追われる隊員たちの姿を眺めていた。
すでに日の出の時刻は過ぎているが、雲が多いため辺りはまだ薄暗い。
背中に暖かさを感じ振り返る。
雲の切れ間から太陽が顔を覗かせていた。
立ち上がり生まれたばかりの太陽を眺める。
(新しい一日がもう始めっているんだ)
雲のヴェールが陽光を屈折させ拡散させ或いは集め、空を輝かし幾条もの光の雨を地上に降り注がせる――幾人かの兵士が朝日の羽衣を帯びたフェンナに見惚れ、足を止めた。
目の前の美しい光景に普段ならば素直に感動する所だが、彼女のささくれ立った心には物悲しい気分をもたらした。
(日は沈んでもまた昇り、あまねく万物を平等に照らす。人は死んでしまえばそれまで。底を欠いた器が水を留め置く事が叶わないように……お父さん、こんなに辛い思いしてたんだね。私、わかっているつもりだったのに、わかってなかった……お父さん、会って話せたら良いのに)
父に会いたい、それが叶わぬ願いだと、太陽は雲に隠れてしまう。
辺りは再び薄暗く、薄暗く……。
アルサレアとヴァリムの戦争は曇り空のように未だ先は見えず、ますますの混迷を極めて行く。
〜第4話 了〜
後書き
おはこにばんわ。
久方ぶりに投稿させていただきますバーニィでござい。ほんと、久しぶりです。久しぶりのくせに過去の作品のノーカット版なんぞという手抜きと取られても仕方がない作品です。内容的にも変化はありませんしね。(苦笑)
この作品の投稿を機会に前よりも意識的にJフェニのSSに触れる時間を増やしていきたいものです……未完作品多いですから、自分(自爆)