戦禍に呑まれた人々の悲鳴や怒号を記憶している生臭い大気をかき分け、アルサレアへと向かうバインガルド。
 長きに渡り戦争を続けるこの時代、傭兵と言う血に汚れた職業を八百年近く、国家を挙げて行うアルサレアに罪なき者などいない。
 アルサレアに住む人々には大きく分けて、罪を知らずに生きる人々、罪の重みを感じながらも生き続ける人々、罪を忘れ同じ罪を犯し続ける人々、三つの人種がある――庶民、兵士、政治家。

 ここに境界線に立つ独りの人間が居た。
 罪を恥じながらも罪を隠し、罪が暴かれ審判の下る日を待ち望み、同時にできる物ならば罪を塗り潰したいと願う男、グレンリーダー。

 アルサレア本国へと向かうバインガルド。
 グレンリーダーは椅子に座り、剥き出しの冷たい床を見つめていた。
 彼は捕らわれていた。
 頭の中に響いてくるのは、数時間前の戦いの最中に聞いたフェンナの声。暗闇で一人うずくまる彼を照らし出した一筋の光。

 ――立って!! 戦ってください!! グレンリィダァァァァァァーーーーッッ!!!

 頭の中で繰り返し、その声が響いていた。

(そうだ。俺は彼女が許してくれる日まで戦って戦って……を守らなければ……フェンナは俺にとって……)

 声を聞くとそれに答えるように思考が生まれる。
 だが、フェンナが自分にとって何なのか、そこから先は混濁し何も考えられず、真っ白になってしまう。
 しばらく白い世界が続くと、やがて反転し黒い世界に。
 そして、再びフェンナの声が響く。

「あの、グレンリーダー」

 極々小さな輪を成す蛇の背を何十周と歩き回っていると、不意に聞こえてきた生あるフェンナの声。
 我に返り、ゆっくりと顔を上げ彼女を見た。

「どうした」
「今回の作戦の報告書は、いつまでに提出すれば良いんでしょうか?」
「別に急ぐ必要はないから、今日中に出せば問題はない」
「あ、そうですか――」

 そこで会話が途切れてしまう。
 フェンナは言葉を続けようとしたが何を言って良いのかわからず声が出ない。
 バストゥール研究所での作戦を終えてから、フェンナはずっと彼と話をしたいと思っていた。別に「これに付いて話したい」と具体的な内容があるわけではない。ただ、何でも良いから話をしたかった。
 話をすれば少しでも、役に立てるかも知れないから。彼女は対話の効用をよく知っている。
 グレンリーダーが何かを悩んでいるのは明らかだ。いや、一つの悩みはすでに晴れたかのように見える。だが、今度は別の物に捕らわれているようだ。
 根拠などないが、フェンナはそれが自分に関係があるように思えてならなかった。

「何を、読んでいるんだ」
「え?」

 一瞬何を言っているのかよくわからなかったが、自分が手にしている本の事だとすぐに気がつく。

「教習本ではないようだが」
「あ、これは……小説です。すみません」

 フェンナは思わず謝ってしまう。
 軍規に「移動中、小説を読んではならない」など記されていない。ただ何となく、新米が呑気に小説など読んでいるのは悪い気がした。

「なんで、謝るんだい?」
「ぁ、はい。何ででしょうね」

 真面目な顔で聞いてくるグレンリーダーにどう答えたら良いかわからず困ってしまう。
 取り合えず軽い笑顔で誤魔化すと、彼はそれを「小説の事は聞かないで欲しい」と言うサインだと思ったのか、口を噤んでしまう。
 会話を望むフェンナとしてはせっかくの切っ掛けをふいにしたくなかった。

「あの、この小説はいわゆる地球時代からの文化的遺産の一つ、大古典小説で……“罪と罰”と言うタイトルの本です」

 そう言って本の表紙をグレンリーダーの方に向ける。

「罪と罰……か。罪を犯した人間が罰を受けて死ぬ話?」

 彼は今の自分にぴったりのタイトルから内容を想像した。

「違いますよ。“人を殺した罪の意識にさいなまれ、不安と恐怖におびえる日々を過す青年が一人の少女に出会い、希望を見出し自首を決意。刑を受け、罪を償い悔い改め生まれ変る”お話ですよ」
「生まれ変わる。生まれ変わってから色々とありそうなものだけど、それで終わりかい?」
「そうですよ。“生まれ変わった瞬間で終わり”ですね、私の印象だと」
「何か中途半端な気がするな」
「そうでもないですよ。ここで終わってるから良いんだと思います」
「まぁ、どんな本も読んで見る前に、あらすじを聞いただけで内容を決め付けてはいけないからな」
「そうですね……よかったら、読んでみますか?」
「いや、遠慮するよ。平和な時代に書かれた古典小説は馴染めないんだ。因果応報、死をもたらした罪は死をもって償う。どうにもそう言う考えの方が馴染むからね。罪を犯して、それを悔いるのは良いが……それを忘れて生きていたくはないな」
「忘れる……ですか、少佐にとって悔い改めると言うのは忘れる事なんですか?」

 グレンリーダーの言葉に引っ掛る物を感じたフェンナは好奇心から尋ねてみた。

「いや、そうじゃないよ。言い方が悪かったな。悔い改めると言うのは要するに、過ちを反省し二度とそれをしないように心を入れ替える事だろう?」
「そうですね」
「死は死をもってしか償えない。悔い改める程度では償えないと思うんだ……特に俺のような人間はな、俺は……」

 兵士だから。
 グレンリーダーはその言葉を飲み込んだ。そして、別の言葉につなげる。

「人を殺して尚、生き続けるには……罪を忘れるか、罪を背負い続けるしかない……背負って、そして――」
「そして……」
「――死ぬまで生きて行くしかない。罪を重ね続け、罪の重さを感じながら、最後に罰を受けるまで。罪の重さに耐え切れずに押し潰され、死が訪れるその日まで……」

 グレンリーダーの口から出た言葉が空気に冷たくじっとりとした湿気を与え、沈黙を呼び込んだ。
 フェンナは軽率な質問をした事を悔いた。
 彼は兵士。
 毎日、国のために命を賭け、他人の命を奪っているのだ。
 人の死など日常の一コマでしかなく、自らの命を守るために、その手で他人の命を奪う事など「当たり前になってしまった」行為なのだ。
 人を殺すことを悔いたとしても、また人を殺さずにはいられない。悔い改めるなどできはしない。兵士である限り。
 自分はなんて馬鹿な質問をしたのだろうか。
 陰湿な空気の中、好奇心から生まれた無遠慮な質問に答えさせられたグレンリーダーの気持ちを考えると、涙が自然と零れ出てきた。
 未来の自分の姿が垣間見えた。
 彼女も今や兵士の一員なのだ。自ら望んでこの世界に足を踏み入れたのだ……人の死に対して悔い改めている暇などない世界に。

(でも……死でしか償えないなんて、死だけで償えてしまうなんて……死が罰なんて……)

 フェンナの中に「彼は間違っている」と言う思いがあったが、それは涙のために声にならず、かわりの言葉が口から漏れる。

「……ごめんなさい少佐」

「いや、フェンナ。謝るほどの事じゃないよ。俺の方こそ、すまない。変な話をしてしまって」

 グレンリーダーは下をうつむきながら言った。
 二人の間に見えないカーテンが引かれていた。
 どう言う訳なのかわからないが、涙をこぼし始めたフェンナにこれ以上どうやって言葉を掛けるべきかどうか、彼は悩んだ。

(キースだったら、こう言う時に何か上手い言葉を見つけられるんだろうな……)

 部下である金髪の青年を頭に浮かべると、どこからか音が聞こえて来る。間の抜けたお腹が空いた時に鳴る音だ。
 グレンリーダーが見るとフェンナは恥ずかしそうにする。

(そう言えば……作戦があったから食事をとる時間なんてなかったもんな……フェンナが、お腹が空くのもあたり前か)

 そう思うと、グレン将軍の一件があってからと言うもの最低限の栄養摂取以外に、自分がまともに食事らしい食事をしていない事を思い出した。
 何となく胃の辺り手を当てる。胃がそれに答えるように鳴った。
 驚いたような顔したフェンナと目が合う。

「お腹……空いたな」
「そうですね」

 フェンナは微笑みながら答えた。
 目と目が合い二人が同時に笑い出すと、今まで場を占めていた陰湿な空気は、流れ込む和やかな空気に押し流され跡形もなく失せた。

「そう言えばフェンナはどんな――」

 グレンリーダーのその言葉を合図に、二人はスピーカーから「もう時期、要塞に着きますぜ。フェンナ様、管制塔に連絡お願いしやす」と、ベテランパイロットの声が聞こえてくるまで、時が経つのも忘れ会話を弾ませた。





 

 機甲兵団J−PHOENIX

 第4話「ギラ・ドゥロ補給基地」









 ミラムーン、バストゥール研究所での作戦を終えたグレンリーダーとフェンナを乗せたバインガルドが到着。
 キースからそれを聞くや否や、アイリはグレンリーダーを出迎えるため、ジープを駆り出し、滑走路へと向かった。

「たいちょぉ、おかえりなさーい」

 バインガルドの後部ハッチから降りて来た隊長を見つけたアイリが、手を振りながら駆けて行く。
 傍から見ると、飼い主の帰りを待ちわびていた犬が尻尾を振りながら駆け寄る姿に見える。

「任務お疲れさま」
「出迎えか、ありがとう」

 本当に感謝しているのかいないのか、グレンリーダーは不愛想な声で答える。

「そんなのいいですって、ほらほら、疲れてるでしょ。荷物持ちますよ」

 それでもアイリは嬉しそうな顔をすると、彼が肩から担いでいる荷物に手を伸ばし世話を焼こうとする。その時、ふとグレンリーダーの横に立っている人物に気が付いた。
 フェンナだ。
 先ほどからそこにずっと居たようだが、グレンリーダーの前では近視になりがちな少女には見えていなかったのだ。
 彼女は嬉しそうにグレンリーダーに話しかけるアイリを見て微笑んでいる。
 アイリは気恥ずかしさを感じ、

「フェンナもお疲れ様。ほ、ほらフェンナのも、持ったげる」

 それを隠すためにフェンナの荷物をひったくるようにして取ると、二人の荷物を持ち自分が乗ってきたジープに向かって歩き出す。

「二人とも早く」

 そう言いながら振り返ると、アイリの行動が面白かったのか、二人は笑い合っていた。
 そんな二人、グレンリーダーの陰りが拭い去られた笑顔を見た瞬間、アイリは荷物を落としてしまう。

「大丈夫かアイリ?」

 グレンリーダーがゆっくりと歩み寄り荷物を持とうと手を伸ばすが、

「あ、うん。大丈夫だよ。ちょっと手が滑っちゃっただけ……」

 アイリはそう言って、遮るように荷物を取り上げジープへと積み込む。
 先ほどまではしゃいでいたのとは一変、急に浮かない顔になってしまったアイリだが、二人は気がつかぬまま後部座席に乗り込む。
 アイリは少々荒っぽい運転でPF部隊の待機所へと向かった。

「さっきの話の続きなんですが、どうしてミラムーンは気化爆弾なんて危険な物を研究していたのでしょうね……それも、秘密裏に」
「フェンナ。秘密裏に何かを開発するのは、ミラムーンに限った事ではないさ。軍隊は人に知られずに新兵器の開発を進めたがる。アルサレアのPFだって気化爆弾に負けず劣らず危険な物だが、秘密裏に開発されていたじゃないか……ミラムーンにしてみれば、フェンナが気化爆弾に不信感を持つように、以前は間違いなくアルサレアのPFに不信感を持っていたと思うな」

 アイリの耳に彼女が知るよりも多弁な彼の声が聞こえてくる。

「でもPFは、父がPFの開発を進めたのは、戦場での被害を少しでも減らすために……」
「もちろん。もちろん閣下はそう言う目的でPFを作られた。だけどフェンナ……君も何度か戦場を経験したからわかると思うけど、戦場では誰もが酷く不安がり、どんな些細な事にでも脅え、猜疑心を持たずにはいられないんだ」
「わからなくはないけど……あまり良くない噂を聞くんですよね」
「噂はしょせん噂だろ」
「そうなんですけど、何もなければ噂はでませんからね……」

 アイリにも二人の会話は聞こえていたが、その内容は右から左へと流れていく。
 ただ二人が親しげに話していると言う事実が、胸の中にもやもやとした物を作り出す。
 自分ではそれを嫉妬だと意識できず、不快感だけを味わいながら運転を続けた。
 しばらく、不快感を味わいながら黙々と運転を続けていると、

「アイリ、通りすぎたぞ」

 目的の建物に気が付かず通りすぎた。

「あ、ごめん……ぼぉっとしてた」

 アイリはブレーキを踏み込み急停車、Uターン。

「はい、到着っ」

 建物の前まで戻ってくると、そう言ってジープを停車。

「助かったよアイリ」
「いいっていいって、ゆっくり休んでね隊長」
「あぁ」

 アイリは降りるグレンリーダーに精一杯の作り笑顔を向けたが、彼は何時も通り何の反応もしない。

「じゃぁ。アイリさん、ありがとうございました」
「あ、フェンナ」

 彼女は思わずフェンナを呼び止めた。

「はい」
「えっと……」

 が、しかし、言葉が上手く頭の中でまとまらず声が詰まってしまう。
 フェンナはアイリの言葉を静かに待つ。
 一分ほどして。

「ごめん、なに言おうとしたか忘れちゃった」
「ふふ、変なアイリさん。それじゃ」
「うん」

 アイリは呟いた。

「フェンナ……どうやって隊長を元気付けたのかなぁ……」


―――


 バインガルドの中でお互いに空腹を感じ自室に帰って休む前に食事を取る事にしたグレンリーダーとフェンナ。二人が食堂の方へと向かっていると、冷やかすような口笛が聞こえた。

「っよ、そこを行くお熱いカップルさんっ!」

 キースが脇の通路から顔を出し意味ありげに笑う。
 フェンナは困った顔をしたのに対し、グレンリーダーは眉一つ動かさず、

「何だキースか。もう少ししたら新品のJファーが届くはずだ。用意しておけよ」

 と、実に淡々としていた。

「了解了解。にしても隊長、相変わらずだねぇ」
「何がだ?」
「いやその……」

 真顔で尋ねてくるグレンリーダーにキースは言葉を詰まらせる。「相変わらず不愛想だねぇ」なんていくらキースでも言い辛い。彼にはあまり冗談が通じないのだ。

「っま、何はともあれ二人ともお疲れさん。色々大変だったみたいだな。施設には気化爆弾が充満で火器が使えなかったんだろ?」

 キースは話題を変えた。

「ああ」
「ってことはあれだろ、白兵戦のみでミッションをこなしたわけだ」
「そうなるな」
「かぁぁっ。さっすがだぜ隊長っ!」

 アルサレア軍ではヴァリムに比べ比較的多くの情報が開示されている。
 作戦前には参加する人間以外に知られないようにしっかりと保護されているが、作戦中の出来事は作戦が終わればすぐに公開される。
 キースが施設内に気化爆弾が充満している事を知っているのはそのおかげだ。もちろん彼がグレン小隊の隊員だから知りえたと言うのもある。

「でさ、ボスが棍棒持ってたんだろ、でっかい棍棒」
「……持ってたな」

 グレンリーダーの脳裏に激しい衝撃音とフェンナの悲痛な叫び声が蘇る。

「棍棒とはレーザー兵器全盛期のこの時代に変ったもん持ち出してくるよなぁ。原始的って言うかなんと言うかさ」
「そうだな。武器としては原始的だが有効な武器に違いはない。レーザーソードなんかはジェネレーターからの供給が途絶えると使い物にならなくなるが、そう言った心配がないしな」
「そうそう。意外と使えるんだよなああいう単純なやつって。レーザーガンが出てきたからって火薬式の銃がなくなったわけじゃないしな」
「けっきょく、単純な構造の方が故障が起こりにくいし、起きたとしても修理がしやすいからな。複雑になりすぎるのも考え物と言う事だな……他のモノでもな」
「まったくだね。っま、隊長の場合、PFに乗りゃぁどんな武器を使ったって強いんだろうけどな」
「俺は強くなんかないさ、無力だよ」
「隊長、謙遜かよっ」

 肩をキースが笑いながら小突くとグレンリーダーは、

「謙遜なら、良いんだがな」

 力なく微笑む。
 それ以上は触れられたくない、そう言う空気を感じたキースはまたも話題を変えた。

「ところでよ隊長」
「どうした?」

 キースはグレンリーダーの直ぐ横まで移動し小声で囁く。

「アイリがここんとこどうも不調なんだよ。なぁんか悩みあるみたいなんだよな。“っま、頑張れよ”の一言でも良いから声掛けてやって、ついでに相談にでも乗ってやってくんねぇか?」

 グレンリーダーは唸り、渋い顔をした。

「悪いがキース。お前が相談に乗ってあげてくれないのか」
「え、俺? いや、俺じゃ駄目なんだよ」
「なら、フェンナにでも……フェンナ」
「なんですか」
「まったまった。オーケー、俺が相談に乗るよ」
「相談って、何の話――」
「いや、なんでもないんだ。っな、隊長」

 フェンナの言葉を遮り、キースは誤魔化すように即答する。
 朴念仁で名が通っており場の雰囲気を掴み損ねる事の多いグレンリーダーも、彼が何かを誤魔化そうとしているのはよくわかった。

「そう、なんでもないんだ」
「そう、ですか」

 フェンナのその言葉を聞くとキースは二人から飛び退り、離れる

「これ以上お二人さんの中を邪魔するのも悪いんで、俺っちはここらで退散だ。See you!」

 そう言い残し、逃げるようにしてキースは走り去った。
 彼の背中を見送ると、フェンナとグレンリーダーはその足を食堂へと向けた。
 グレン=クラウゼンの令嬢フェンナ=クラウゼン、アルサレアの若きエースパイロットグレンリーダー。
 有名な二人が食堂の扉を潜ると視線が一斉に集る。
 グレンリーダーは鈍いおかげでそれに気が付きもせず、フェンナは幼少の折から多くの視線に晒されて生活してきたが故にさして気にもせず、向かい合わせに席に着くと、二人は楽しげに、フェンナの訓練校時代の話などをしながら食事を取った。

 食事を終え、食堂を出るとグレンリーダーが言った。

「フェンナ、いつ出撃になるかわからない。よく休んで置けよ」
「はい。グレンリーダーこそしっかり休んでくださいね。疲れた顔、してますよ」
「そうか?」
「はい……じゃぁ」
「あぁ……」

 背を向け自室へと行こうとするフェンナの背中に、声を掛けようと思ったが言葉は出なかった。


―――


 自室へと戻ったグレンリーダーは深く息を吐き、ベッドに腰掛けた。
 顔を両手で覆い自分の行動を思い起こす。

(どうも……ミラムーンでの作戦を終えた後の俺は、感情が昂っていたな……どうしてしまったんだ新米じゃあるまいし……あの夢にうなされていた反動か?)

 あの夢、何度となく繰り返し見たグレン将軍の死を見取り最後の言葉を聞くその光景。
 彼は頭の中に浮かんだ光景を頬を叩いて消し飛ばした。

(いや、違う……彼女だ)

 ベッドから立ち上がり、いつも携帯している銃を机の上に置き、服をベッドに脱ぎ捨てシャワールームに入る。
 シャワーからこぼれる暖かいお湯を浴びると、体が弛緩し心も緩んだ。

「もう少し、フェンナと話していたかったな」

 不意に口からそんな呟きが漏れると、

「くくく……くく、く、はは、はははははっ」

 あまりフェンナと話したくないと思っていた自分から出た言葉とは思えず、笑いだしてしまう。

(そう、そうだな。相手がフェンナだったから……俺は口があんなに軽くなっていたのか)

 朴念仁と自分が呼ばれている事は知らないが、人と比べ口数が少ないのはよくわかっている。
 フェンナといつもの何倍も口数多く話している自分を思い出し、つい口を滑らせてはいやしないかと不安になる。同時に、口を滑らせてしまったのならば「それも良い」と言う気持ちもあった。
 滑らせていたならば、もうこれ以上苦しむ必要がないのだから。

(考えても仕方がないな……俺には待つ事しかできないんだ)

 シャワーを止め、体を拭き、気持ちと共に新しい軍服に着替えると、端末の置いてある机に向かう。メールを確認するためだ。
 まずは私信の方を調べてみる。
 未読の新着メールは二件、一件の差出人はアイリ。もう一件は、

「ギブソン……ギブソン=ドゥナテロか、懐かしいな」

 ギブソンはかつては戦場で肩を並べ、生死を共にした戦友だ。
 彼がグレン小隊に所属してからは二人とも別々の戦場へと赴くようになりまったく会っていない。
 グレンリーダーの脳裏に、ギブソンとの思い出が蘇る。
 あの頃は気負う物もなく、ただひたすらアルサレアのために思うぞんぶん力を尽くしていた。
 あの頃は疲れなど知らず、体中に力が蘇っていた。

「歳をとったかな……」

 そう言いながら、まだまだ若い自分の年齢を思い出し苦笑する。
 グレンリーダーはディスプレイに視線を戻す。
 日付によるとギブソンからのメールが届いたのは、バストゥール研究所へ向かう前のようだ。研究所へ行く前にメールのチェックを行った記憶はあるが、どうも見逃したらしい。
 メールを開いてみる。

 【よう、久しぶり。元気だったか?
 またこっちに厄介になりに帰ってきたぞい。
 しばらく会ってなかったが、お前さんの活躍は向こうの戦線まで轟き渡っていたぞい。
 派手にやっているようじゃないか!
 そのうち発令があるとは思うが、今度お前さんの部隊と共同で作戦にあたる事になったんでな。古巣に戻って来たって訳じゃ。
 ま、よろしく頼むぞいっ!】


 語尾に「ぞい」がやたらと付くギブソンの懐かしい声が頭の中に蘇る。

「相変わらず“ぞい”は取れてないんだな……それにしても」

 心の中で「そのうち発令があるとは思うが、今度お前さんの部隊と共同で作戦にあたる事になったんでな」と言う言葉が引っ掛っていた。
 グレンリーダーはグレン将軍宛のメールアドレスを開き、着信メールをチェックする。
 作戦に関連するツェレンコフからのメールはない。
 今の所、能動的な大規模作戦はないようだ。各戦線では、臨機応変に受動的な防衛任務を勤めているのだろう。
 ヴァリムに対しこちらから打って出る必要のある作戦があれば、グレン小隊が関わろうが関わるまいが、参謀本部長からのメールが来るはずだ。
 ところが、理屈上はグレン将軍の許可がなければ作戦の準備は行われないはずなのにギブソンのメールによると、すでにグレン小隊と彼の所属する部隊との合同作戦の準備が進められているらしい。
 たしかにいちいち最高権力者の許可を待ってから準備を始めたのでは遅い、急を要する作戦ならば決裁を求めるメールは来ないかも知れない。
 だが、準備する期間があるほど時間的余裕のある作戦である。もっと前にメールは来ていても良いはずだ。
 それこそ、ギブソンからのメールが来る前の段階で。
 グレンリーダーは疑問に思った。

(俺は本当に……影武者として必要なのか? フェンナを騙し続ける必要なんてあるのか?)

 自分の知らないところで進められている作戦。
 手続き上必要なだけの自分が行う決裁。
 形の上では作戦の採否を決めてはいるが、参謀本部長の作戦を却下する権限を与えられているのだろうか。
 自分が否と答え、作戦が中止されることなどあるのだろうか。
 自分が影武者としてやっている事は、何の意味もないのではないだろうか。
 本当に参謀本部長は自分に採決を任せているのだろうか――俺はたまたま将軍の死に遭遇したからこの役割を与えられただけで、本当は必要ないんじゃないのか?
 与えられた役割への不信感と、立場上知ってるはずなのに自分の知らぬ所で動いている事への不安感が混ざり合い、得体の知れない恐怖心となり、体の内側を這い回る。
 グレンリーダーは目を閉じ、深呼吸を行い自分を落ち着かせようとする。
 数分間、何もかも忘れ呼吸のみに集中していると恐怖心は感じられなくなった。

(……ふぅ、本当に俺はどうしたんだ。些細な事で落ち着きを失うなんて……自分の知らぬ所で動いている事があるのは当り前じゃないか、閣下だって軍の全てを把握できていた訳がない……落ち着け、落ち着いて目の前の敵に一つ一つに的確に対処すれば、生き残れるさ……その時まで)

 ディスプレイには将軍宛のメールが表示されている。
 フェンナからのメールとミラムーンのクレスト=ウォールナーからのメールが届いていた。
 まずは、クレストの方を確認。
 内容は件の研究所の礼と、ヴァリムの工作に気を付けて下さいと言う物だ。
 続いてフェンナのメール。
 ギブソンのメールと同じく前回の作戦前に届いている。これもチェックし忘れていたようだ。
 グレンリーダーは見ようか見まいか、逡巡する。
 見れば気が滅入るのはわかりきっている。だが、見る事はなかば義務の様な物――大袈裟だが――これも一つの罰。
 指が小刻みに揺れ、心臓が激しく鳴り出す。ロシアンルーレットでもしているような気分だ。
 迷った末に、メールを開いた。

 【お元気ですか、お父さん。
 今日帰り道に、花屋さんのそばで、子犬を拾いました。
 ほとんど真っ白なんだけれど、耳と尾の先だけすこし茶色くなっていて、とても綺麗な子なの。
 箱の中からまっすぐにこっちを見ていて、なんだかほっとけなくて、つい連れて帰ちゃった。
 それを言ったら、クレア姉さんに笑われちゃいました。
 その子はとても甘えん坊な子で私の後をついて回るの。名前はラヴってつけました。
 これも姉さんに笑われてしまいました。ぶー。
 今、我が家の話題は、ラヴの事で持ちきりです。
 お父さん、早く帰ってこないと居場所がなくなっちゃうぞ。

 早く帰って来てね、お父さん】


 グレンリーダーは案の上、見なければ良かったと後悔した。
 怒りとも悲しみとも取れる感情に体が打ち震える。
 たかがメール。
 しかし、銃弾を体に撃ち込まれるよりも辛いものであった。
 端末を切ろうとして、自分宛にアイリからのメールが来ている事を思い出した。
 開いてみると件名には「隊長、お疲れ様」とあったが、本文は白紙。
 グレンリーダーはキースが「アイリの相談にでも乗ってやってくれないか」と言っていたのを思い出し、このメールは何か関連があるのだろうかとも考えた。
 アイリにメールを送ろうと思い本文を打つためにキーボードに指を掛けたのだが、いまだ動揺冷めやらぬ彼は、まったく文章が浮かばない。

(後で、送れば良いか……)

 アイリにメールを送るのは止め、端末の電源を落とした。
 グレンリーダーは袖で額を拭う。先ほどシャワーを浴びたばかりなのに額にじっとりと嫌な汗をかいていた。
 洗面所へ行き顔を洗う、鏡を見ると目だけがぎらつく酷い表情の自分が居た。

(戦闘なんかよりも……メールを確認する作業の方が遙かに疲れるな)

 ベッドに戻ると横になり目を瞑る。が、ものの数秒も経たないうちに目を開く。
 眠れそうもない。やたらと目が冴えている。
 上体を起こしベッドに腰掛けどうしたものか考える。できれば今のうちにまとまった睡眠を取っておきたい。
 睡眠薬でも飲むか?――それは気が進まないな
 立ち上がり部屋の中を歩き回る。どうしたものか、どうしたものか。

(仕方がない……寝るのは止すか)

 かと言ってこれと言ってする事が思い浮かばない。
 フェンナはどうしてるだろう、彼女と話して時間を過すか――いや、たぶん寝ているな。
 ふと、机の上の銃が目に付いた。
 グレンリーダーは手に取ると、ふむんと唸り一人頷く。

(分解掃除でもするか……)

 ロッカーから道具を取り出し、机の上に広げ始める。
 そして数十分後。
 掃除を終えたグレンリーダーは部屋を後にし、特に目的もなく施設内をぶらつく事にした。
 アイリにメールを送ろうと考えていた事など、頭の中からすっかり消え失せていた。


―――


 自動ドアが開き、金髪の青年キースが「待ちなさぁいっ!」と言うアイリの叫び声と共に飛び込んできた。
 けっきょく眠る事ができずに施設内をぶらぶらと歩き、この休憩室へと辿り着いたグレンリーダー。
 何をするでもなく部屋の奥でぼぉっとしながらコーヒーを飲んでいた彼が、静かに顔をあげるとキースがこちらに向かって走ってくるのが見えた。

「隊長、助けてくれ。あのじゃじゃ馬おっかねぇったらありゃしねぇ。うわっ、来やがった」

 そう言ってグレンリーダーの座っている椅子の後ろに身を隠す。
 一目見ればそこに隠れていると誰にでもわかってしまうような隠れ方だ。
 声は本気でアイリを恐がっているように聞えるが、行動はとてもそのようには見えない。
 そんなキースの行動にグレンリーダーは思わず笑みがこぼれた。

「キース、あたしから逃げようったって、そうはいかないわよ」
「アイリ、どうしたんだ?」

 興奮して朱色に頬を染め眉間にしわを寄せているものの、どこか迫力に欠けた可愛げな怒った顔のアイリに、グレンリーダーは尋ねた。

「た、隊長。なんでもないよ、です。キースが……あぁもうキース、早く寄越しなさいよっ!」

 いつものアイリなら「隊長、キースったらこうなんだよ」と説明を始める所なのだが、どうも今回は様子が違う。
 朱色だった頬を薄紅梅色に変え、恥ずかしそうにしている。

「何をしたんだ?」

 アイリは答えてくれそうもないので、椅子の後ろに居るキースを覗き込み尋ねた。
 すると彼は、既にそこに隠れているとばれているにもかかわらず、手を横に振ったり人差し指を立て口に近づけしぃっとしたり、態度で「隊長、俺に話掛けちゃ駄目だって」と答えた。

「キース、出てきなさいよ」

 アイリがグレンリーダーの後ろへと回り込み、椅子に隠れているキースの襟を掴む。

「まいった。ギブアップギブアップ」

 キースは観念したのか両手を上げる。アイリは彼が右手に持っているカメラを取り上げた。カメラがこの騒ぎの原因らしい。

「キース。これどこに記憶ディスクが入ってるのよ」

 カメラの操作方法がわからないらしい。

「そんなもんねぇよ。記憶媒体は感光フィルムだからな」
「じゃあ、そのフィルムってのはどこに入ってるの」
「さぁて、どこでしょうねぇ」
「キース、教えないとこのカメラ壊すわよ」

 言うが早いかアイリは床にカメラを置き手近な椅子を持ち上げた。
 その時グレンリーダーが突然椅子から立ち上がり、アイリに向かって敬礼する。

「な、なに。隊長?」

 彼女は彼の唐突な行動に驚きぽかんっと口を開けた。
 そんなアイリをよそにキースまでもが敬礼――いったいどうしちゃったの二人とも?
 椅子を持ち上げた姿勢のまま二人をよく見た。どうやら視線は彼女の後ろへと向かっている。
 恐る恐る振り返ると、そこには参謀本部長ツェレンコフ=ゴルビーの姿が。

(げげ、参謀本部長。なるほど二人とも参謀本部長に敬礼してたんだ。あたしも敬礼しなくちゃ)

 敬礼しようと言う考えが手に持っている椅子の存在を忘れさせた。
 椅子は下へとまっ逆さま。音を立てて床とぶつかる。アイリは思わず、

「うわぁっと」

 自分の立てた音にびっくりして後ろに跳び下がった。
 部屋にはなんとも言えない空気が漂う。
 アイリはともかく参謀本部長に敬礼。恐る恐る参謀本部長の様子をうかがった。

「少佐、ちょっと来てくれるか」
「はっ」

 参謀本部長はアイリの行動などまったく気にしている様子もない。
 呼ばれたグレンリーダーは、床に置いてあるキースのカメラを拾い上げると参謀本部長の方へと歩き出す。

「隊長ちょっと待っ……」

 アイリはカメラを持っていこうとした隊長を呼び止めカメラを渡して貰おうとしたが、参謀本部長の手前、途中で言葉を呑み込んだ。

「二人ともこれは俺が預かっておく。いいな」
「「了解」」

 参謀本部長とグレンリーダーはそのまま部屋を後にした。そして部屋に残った二人は、

「ちょっとキース。あんたのせいでとんでもない恥をかいちゃったじゃないのっ!」
「What? 何で俺のせいになるんだよ」

 いつものやり取りを始めるのであった。


―――


 グレンリーダーは休憩室を後にし、黙って参謀本部長の後を付き従う。
 ツェレンコフが要塞内を歩いて行くと道行く人々が廊下のすみに寄り敬礼をする。
 多くの人が行き交い混雑するために普段は避けているアルサレア要塞のメインストリートとも呼べる通路でもそれは変わらない。ちょっとしたコンテナが通れる広い廊下の両脇に人々がずらりと並び一斉に敬礼をする。
 その光景を見ると、参謀本部長と個人的に親しくしているためにあまり感じていなかった階級の差、軍隊内での立場の差を強く感じさせられた。
 しばらく歩くと、要塞中枢エリアへと直通している高官専用エレベーターの前に到着。
 ドアの前に肩から銃を下げた警備兵がいた。
 警備兵はツェレンコフを見ると敬礼。本部長の後に付き従うグレンリーダーのボディチェックを行おうとしたが、「彼は良い」と参謀本部長が止めた。
 エレベーターが到着し扉が開く。エレベーターの中にまで警備の人間がいた。

(ずいぶんと物々しい警備だな、前はこんなに厳重ではなかったはずだが……)

 グレンリーダーは過剰と思える警備に、何処となく不安を感じ顔を曇らせながら中へと入る。

「あの一件以来、セキュリティを強化したんだよ」

 ツェレンコフが呟いた。

 ツェレンコフの執務室がある階に到着。エレベーターから降り黙々と歩く。その時にグレンリーダーが感じたのは居心地の悪さだった。
 彼がいつも利用しているエリアは壁も床も実に殺風景で、色と言えばエリアを示す派手な原色のアルファベットと数字、床に描かれた線ぐらいな物だ。そしていつも喧騒に包まれ騒がしい。
 だがここは違う。
 肌寒い静寂に覆われ、床には柔らかな絨毯が敷かれている。壁には壁紙が張られ一定間隔で絵も掛けられている。同じ要塞内とは思えない、まるで別世界だ。
 ツェレンコフの執務室の前室に当たる秘書室に着いた。
 中にはメガネを掛けたポニーテールの女性秘書官が一人。彼女は参謀本部長の入室と同時に席を立ち敬礼する。

「おかえりなさいませ。参謀本部長、この後――」
「悪いが、彼と話がある。個人的な話だ。君は休憩してきてくれないか?」
「畏まりました。では、三十分ほど休憩させて頂きます」

 秘書官は何通かの書類を手に持つと、ツェレンコフとグレンリーダーに一礼し部屋を後にした。
 執務室に入ると、ツェレンコフは座り心地の良さそうな椅子に腰掛け、大きく息を吐いた。
 先ほど歩いてきた廊下よりもさらに豪華な内装が施されておりグレンリーダーにとっては居心地の悪い空間だが、どうやら参謀本部長にとってはここが一番落ち着く場所らしい。
 彼は机の上の写真を取り、グレンリーダーに渡した。

「これは?」
「今度の少々大掛かりな作戦に関係する敵の新兵器の写真だ」
(ギブソンからのメールにあった大掛かりな作戦、あれに関係しているのだろうか?)

 写真には整備工場と思われる場所で肩膝を付いたヌエと、ヴァリムの整備員と思われる人々が行き交う姿が映し出されていた。
 新兵器らしき物は何も移っていない。

「よく見てくれ、背景をな」
「……背景」

 もう一度写真を良く見てみる。
 背景には壁しか写っていないように見えるが、良く見ればその壁はどこか不自然だ。湾曲を持っているように見える。
 特殊な構造をした整備工場だろうか?
 一般的な整備工場のイメージにはそぐわない壁だ。

「よくわかりませんが……変わった整備工場ですね」
「あぁ、実に変わった整備工場だ。そこに移っているのはヴァリムの新兵器の一部分」
「一部分?」
「そう。ヴァリムが開発した巨大空中空母オーガル・ディラム。それはその甲板。写真は空中空母が収められている整備工場で撮られた物だ。」

 巨大空中空母。
 いったい全体像はどれほどの大きさを持っているのだろうか。
 グレンリーダーは背筋に冷たい物を感じた。

「いずれ、例のメールが君の所に届くとは思うが、今回その空母の整備基地を叩く作戦が行われる」
「……厳しい戦いになりそうですね」
「ぁぁ、厳しい物になるだろう。PFを開発して以来、有利に戦いを進めてきた我々だが、いよいよ簡単にはいかなくなって来た。これからの戦いは、今まで以上に厳しい物になるだろう。防戦一方に徹してきた我々だが、攻勢に出ねばなるまい。君の」

 ツェレンコフは言葉を区切り、沈黙する。

「君の負担も、これから増えて行くだろう。小隊長としても……もう一つの役割としても」

 ゴルビーの口から言葉が紡ぎだされる度に、喉が締め付けられるような気がした。
 目を瞑り、深呼吸を一つすると、

「……参謀本部長」
「なんだ、少佐」
「グレン=クラウゼン閣下のご息女フェンナ=クラウゼン少尉を、多大な危険の伴う特務小隊の一員として……特に今回のように攻勢に出る作戦ともなれば、前線に出すのは危険です。彼女を安全な部署へ転属して頂けませんでしょうか」

 グレンリーダーは事務的な口調で陳情した。

「……」

 ゴルビーは椅子に腰掛け、腕組みをし、黙考した。

「先日、フェンナ様が突然家に訪ねられてきてな……」

 シガレットケースからタバコを一本取り出すと、とんとんっと机の上で叩き始める。

「犬を連れていたな、まだ小さい、白い子犬だ……ラヴとか言っていたかな」

 グレンリーダーはフェンナのメールを思い出した。

「犬に“愛”と名付けるとは……フェンナ様らしい。フェンナ様が言うには、たまたま近くまできたから寄ったそうだが、あれは嘘だな。私が閣下と親しい事を覚えていてわざわざ訪ねて来たんだろう……」

 ツェレンコフはおもむろにタバコに火をつける。

「私が“閣下はご健在だから安心して欲しい”と言っても目に涙を浮かべながら、何度も何度も“父はどうしているんですか?”と聞かれてな……やりきれんよ」

 天井に昇りゆく煙を見ながらツェレンコフは溜息を一つ。そして、

「閣下について――」

 灰皿にまだ長いタバコを押し付けた。

「――確信は持っていないが、何かあったと、感じ取っているのだろうな……女性は勘が良い、気をつけてくれよ」
「十分、注意します」

 なかなか自分の陳情に答えないツェレンコフにグレンリーダーは苛立ちを覚え始めた。

「参謀本部長」
「ぁぁ、わかってる」

 ツェレンコフは新しいタバコを取り出し、火をつけ、

「閣下の崩御は、もう少し世界の情勢が定まってから発表しようと思っている。同時に、次期指導者の決定もな、それまでは君に苦労をかける――」

 しばらく、タバコの先端の赤い光を見ながら話を続ける。

「――次期指導者としては、長女であるクレア様になって頂くのが一番望ましい。クレア様は昔から閣下に同行して色々と見聞きしているし、何よりも閣下から受け継いだカリスマ性がおありだ。ただ、クレア様は病弱だからな。フェンナ様は……」

 一旦言葉を区切り、一口も吸っていないタバコを灰皿に押し付け、椅子から立ち上がり、部屋の中を歩き出した。

「……フェンナ様は……私は人の上に立てる人間ではないと思っている。平凡だ、至ってな。人と共に泣き、人と共に笑い、あまりにも普通の人間だ。苦労や不安を知らな過ぎる」

 ツェレンコフの同意を求めるような視線に、グレンリーダーは目をそっと瞑り。

「わかりかねます」

 と言った。
 彼は内心、参謀本部長に対し怒りを感じていた。
 まだ出会って数日とは言え、不安と恐怖に襲われながらも、それに耐えている彼女を知っているから――フェンナは苦労や不安を知らない人間などでは断じてない。断じて。
 そうでなければ、あの研究所で死を覚悟した時の彼女の呼びかけは、心に届く事はなかったはずだ。

「フェンナ様には、色々と現実を見てもらわねばらない。彼女は今まで箱入り娘として育てられてきたからな。この戦しかないアルサレアにあって戦場を知らずに育ってきた数少ない人間だ」
「だから……グレン小隊に配属した」
「そうだ」

 つまり「転属は認められない」とグレンリーダーは理解した。
 わからなくはない、わからなくはないが、あまりにも酷ではないだろうか。
 グレンリーダーは口を開いた。

「酷すぎませんか……彼女は、何も知らずに」

 それ以上言葉は続かなかった。
 皮下で様々なものを巻き込みながら感情が渦巻き、思考は乱れ、自分が何を言いたいのかよくわからなかった。

「少し頭を冷やせ。個人的な感情は事態を混乱させるだけだ。現実だけを見ろ……いずれアルサレアの後継者について君の意見を聞くだろう。その時までによく現実を見極めておいてくれ、現実だけをな」

 それだけ言うと、ツェレンコフは窓まで行き外の景色を眺める。
 グレンリーダーは何も言わない。
 しばらくすると、ツェレンコフが口を開き、

「もういい下がれ」
「参謀本部長。前線がどれだけ危険か貴方はわかっているはずです……」
「君が守れ。それとも、自信がないか?」
「……」
「彼女に何があったとしても、君が最善を尽くしたのなら悔やむ事はない……閣下の事に付いても同じだ」
「それは……」
「もし、彼女が命を落とすような事があったとしても、それはその程度の器だったと言う事だ。わしはそのような事はないと思っているがね。君は命にかえても彼女を守り抜く……違うか?」
「……」
「下がれ。よく休んでおくと良い。これからは休む間などないかも知れないぞ」

 グレンリーダーは何も言わずに、言葉に従い部屋を後にした。
 ツェレンコフは独りになると、窓に映る自分の顔に向かって話し始めた。

「これからますます戦争は酷くなって行く。今が一番大事なときだと言うのに……グレン、お前は何故死んだ? わしはお前を恨むぞ、厄介ごとばかり残していきおって」

 窓には見知らぬ寂しそうな老人の顔が映っていた。

 執務室を後にし秘書室を通り廊下へと出ると、ツェレンコフの秘書官が立っていた。

「お送りいたします」
「ありがとう」

 秘書官に見送られてエレベーターに乗り込み、居心地の悪い場所を後にした。できれば足の踏み入れたくない場所を。

 翌日の午前七時ごろ。
 グレンリーダーの自室にギラドゥロ補給基地奇襲作戦の許可申請メールが届いた。


―――


「……作戦の詳細は後で知らせることになるが、今回敵基地への奇襲作戦にグレン小隊の参加が決定した。それに伴い、我々は移動を行う」

 アルサレア要塞内、作戦会議室。
 グレンリーダーは部下達を集め、ヴァリム軍の大型巨大空母オーガル・ディラムのドックがあるギラ・ドゥロ補給基奇襲地作戦が発令された事を伝えた。
 作戦の詳細は彼もまだ聞かされていない。

「移動方法だが、まずはバインガルドに搭乗しイオンド地区南東部で降下。その後イオンド地区を巡回するアントに合流。その後の指示はアントで受ける予定だ」

 イオンド地区はアルサレア要塞の西にあり、国境を越えヴァリム領まで続く広い土地を指す。
 ヴァリムがミローナ地区と呼んでいるこのエリア内には最激戦区として名高いサーリットン戦線がある事からもわかる通り、戦闘の絶えない地域で荒涼とした、人々の血と涙を両親に持つ土地である。
 アントと言うのはアルサレア領内――主に国境付近――を巡回している視覚的電子的に迷彩の施された複数のトレーラーで構成される補給部隊だ。
 アルサレアの兵士達は基地が遠い場合や、敵の奇襲などで思わぬ損失を受けた場合など、このアントで補給を受ける事ができる。また今回のように何かの作戦で移動する時などにも、その利便性や隠密性の高さから利用される。

「隊長」
「何だ、キース」
「俺らはPF乗って移動すっから良いけど。フェンナちゃんはどうするんだ? 敵基地への奇襲攻撃だろ? って事とは敵陣に乗り込むわけだから、遠くからオペレーティングするのは無理だよな」
「ぁぁ、その通りだ。フェンナには……」

 フェンナを見てグレンリーダーは言葉を詰まらせた――「来て欲しくないのだが」とは言えないよな。
 彼を不思議そうに見返すフェンナの横でアイリがつまらなそうな顔をしていたが、グレンリーダーの目には入らない。

「フェンナには、指揮車両で同行してもらう予定だ」

 指揮車両は、要するにPF部隊の電子的な支援を目的とした装甲トラックだ。
 自国内での戦闘ならばバインガルドやアルサレア要塞内からでもオペレーターとしての仕事を果たせるが、敵国内ではそのようにはいかない。そこで指揮車両が必要になってくるわけだ。
 もっとも、Jフェーと比べて指揮官機としてより性能の高い通信機器を搭載したJファーカスタムがあれば済んでしまう場面が多く、必ずしも必要なわけではない。

(作戦のために指揮車両が必要なのか、それとも参謀本部長が言っていたように経験不足のフェンナに実戦を経験してもらうためなのか、どちらかわからないができれば彼女には安全なアルサレア国内に残ってもらいたいものだな)

 グレンリーダーのそんな思いが、口に言葉を喋らせた。

「少尉は小隊に入隊してから日も浅い。今回の任務はかなり危険なものになると予想される。もし自信がないのなら、この作戦への参加を辞退しても良い……どうする、少尉」

 目に映るフェンナの表情は、どう言う訳か失意の相だった。グレンリーダーは色のくすんだ目に見返され、なぜそんな目をするのかまるで理解できず困惑した。

「少佐、私も作戦に参加させて下さい。それとも私では力不足ですか」
「いや……そんな事はない」

 フェンナの言葉にグレンリーダーはそれ以上何も言えなかった。
 作戦会議室がしんっと静まりかえる。
 三人はグレンリーダーの言葉を待ったが、なかなか彼の口は動かない。

「なぁ、俺達は四人そろってグレン小隊なんだしよ。“みんなで仲良くヴァリムへピクニック”と行こうぜ」

 誰に言うでもなく、淀んだ場の空気に流れを生み出そうとしたキースだが、言葉は虚しく宙に消えた。

「移動は一時間後。パイロットはPFの準備を、オペレーターは指揮車両の準備をしておいてくれ。指揮車両は配給部に言えば回してもらえるはずだ……少尉は、降下の経験がないかも知れないが大丈夫だな?」
「はい」
「以上だ。解散」

 それだけ言うとグレンリーダーは足早に部屋から去る。
 続いてアイリ、キースと去り、フェンナが最後に部屋に残った。

(グレンリーダー、「自信がないのなら、この作戦への参加を辞退しても良い」だなんて、私のこと仲間だと認めてくれてないのかな。私がクラウゼンだからかな……バインガルドでいっぱい話できたし、打ち解けられたと思ったんだけどな……)

 独り皆が出て行ったドアを見つめ、フェンナは心の中で呟いた。


―――


 グレン小隊の各員がおのおの準備を滞りなく終えた一時間後。
 パイロット達がバインガルドに三機のPFを搭載し、最後にフェンナが指揮車両を積み込んだ。
 バインガルドの格納庫、向かい合うグレンリーダーとキースの機体の間に停車した指揮車両のハッチを開き顔を出したフェンナに整備員が下から声を掛けてきた。

「フェンナ様、ロックの解除わかりますよね?」
「はい、大丈夫ですよ」

 笑顔で答える。
 フェンナは昔からの人前に出る事が多かったせいか、人と話す時はわざわざ愛想の良い笑顔を作ってしまう。

「いちおう固定しましたけど、後で自分でも確認しておいて下さいフェンナ様」

 フェンナの笑顔が一瞬曇る。「フェンナ様」と様をつけて呼ばれるのは嫌なのだ。
 前は会う人会う人全員に「フェンナで良いですよ」と言っていたが最近では少々それも面倒になり、気にしないように務めていた。
 それでも皆に様付けで呼ばれると一抹の寂しさを感じずに入られなかった――自分だけが特別扱いされ、距離を置かれているようだから。

「はい。ありがとうございます」
「では、失礼しますっ!」

 十代後半の整備員はフェンナと話せた事が嬉しいのか目を輝かせながら走り去った。
 フェンナは頭を指揮車両の中に引っ込めると、指揮車両に付けられているパラシュートの作動確認を行う。すでに調べてあり問題ないのはわかっているが、実際に降下するのは初めてだ、不安で何度も確認してしまう。

「よし、大丈夫」

 グリーンランプが灯るのを確認すると、外へ出る。

「フェンナ、タキシングに入るって。座席に着かないと危ないよ」

 どこからかアイリの声が聞こえて来た。
 辺りを見回すと操縦席側の出入り口から顔を出している彼女がいた。

「いま行きます」

 指揮車両から飛び降り、しっかりと床に固定されるかどうか一回りして確認すると、コックピットへと走って行く。
 操縦室では既に全員が席に着きシートベルトをしていた。

「すみません、遅れました」
「よし、全員そろったな。頼む」

 グレンリーダーはフェンナが部屋には入ってくるのを確認すると、ベテランパイロットに声を掛けた。

「了解しやした。ほら新人、タキシング任せるぞ」
「えぇっ!? 私がですか」
「何だお前、早くやりたいって言ってたじゃねぇか」
「でもいきなりだなんて無理ですよ」
「お前な、いきなりやれなきゃ意味ねぇんだよ」
「そ、そりゃそうですけど……」

 中年ベテランパイロットと新人女性パイロットがもめて、なかなかバインガルドは動かない。作戦時間にはまだ余裕がある、グレンリーダーは様子を見た。

『バインガルド、こちら管制塔。動いていないようですが、何かありましたか?』
「こちらバインガルド。なんでもありやせん、ちょっとトラブルがありやしたが、もう解決しました」
『了解。後続が控えてます。早く出て下さい』
「了解」

 管制塔との交信を終えると、ベテランパイロットが新人の頭を引っぱたいた。

「おめぇっもたもたしてんな、さっさと動かせ、後がつかえてるって言ってたろっ!」
「っな、なにするんですかっ! お父さんにだってぶたれた事ないんですよっ!!」
「早く動かさねぇからだ」
「まだ私がやるとも何とも言ってないじゃないですか」
「おぅ。じゃぁやるのか、やらねぇのか?」
「やりますよ。やって見せます」

 新人は後ろを振り向きグレンリーダーを見ると、顔を真っ赤にする。
 しんっと静まりきった操縦席の空気をキースとベテランパイロットの忍び笑いが揺らす。

「いきますっ!」

 大声を上げ気合を入れる新人。
 スロットルをやや開き、パーキングブレーキ解除。そして一気にスロットルを開く。
 最大積載重量五十トン近いバインガルドの巨大なエンジンが唸りを上げる。機体はその雄たけびとは裏腹にゆったりとした動作で動き出した。
 一度動き出したらスロットルを絞り低速を維持すれば良いのだが……新人は絞らない。「このまま離陸する気なのだろうか?」と言う疑問と不安がグレン小隊面々の頭の中に一斉に浮かんだ。

「ぉぃ……おぃっ! スロットル、スロットルッ!!」

 ベテランパイロットが慌ててスロットルレバーを下げる。
 恐る恐る彼が後ろを振り返ると、苦笑いをしたり、青ざめた顔をしたり、無表情だったり、なぜか微笑んでいたり、それぞれ異なるの顔をした四人がいた。

「ははは、すいやせん……」

 頭を掻き、謝るベテランパイロット。
 その後、頭にこぶを作った新人の操縦で、バインガルドは特に問題もなく滑走路へとたどり着き、大空へと飛び立った。
 数十分後、降下予定地点に到着した。

『降下ポイントに到着。後部ハッチを開きやす』
『了解。フェンナ、君からだ。何かあったらフォローする。大丈夫だな?』
「はい、了解しました」

 フェンナは緊張しながら指揮車両のエンジンに火を入れ、ロック解除スイッチに指を掛ける。

「ロック解除します」

 スイッチを押すとそれに答えるように足元からロックの外れる音がした。
 まずは正面カメラのモニターで、さらに念のために覗き窓から前方に障害物がないかどうか確認。それを終えると車両を発車させる。
 パラシュートがちゃんと付いているとは言え、ハッチから空に飛び出すのは勇気がいる。一度深呼吸をするとフェンナは勢いよく飛び出した。
 若干の間をおきパラシュートを開く。
 指揮車両は減速。ゆっくりと地上に向かって降下して行く。
 緊張に満ちた短く長い時間が過ぎると、車両は衝撃と共に着地。
 フェンナは胸に手を当ててほっと一息吐く。胸の奥で心臓が激しく脈打っているのが感じられた。

『フェンナ、大丈夫?』

 スピーカーからアイリの声が流れてきた。
 モニターの隅にウィンドウが開き心配そうな顔つきの彼女が映っている。画像通信だ。

「だ、大丈夫です、アイリさん……ちょっと恐かったけど」
『はは、降下するの初めてでしょ? そりゃ、恐いよね』
「えぇ、皆さんは大丈夫ですか?」
『もっちろん……キースはまたこけたけどね。最初は恐いけど降下なんて慣れちゃえばジェットコースターみたいなもんで楽――』
『二人ともおしゃべりはそこまでだ。アントとの予定合流ポイントまで移動するぞ』
「『了解』」

 グレンリーダーのJファーカスタムを先頭に、アイリ機、指揮車両、キース機の順で数十キロメートル先のポイントを目指し進む。
 隊の進行速度は、指揮車両にあわせているために速くはない。
 PFは悪路を物ともせずに進む事ができるが、フェンナの乗る指揮車両はそうはいかない。PFの随伴を目的とした車両だけに、普通の物に比べれば悪路の走破性能は高い。だが所詮は車である。大きな溝にはまれば動けなくなってしまう。
 ましてや、いま進んでいる場所はPFによる戦闘を何度も行った場所である。
 様々な爆発により地面は嵐で乱された海面がそのまま固まったかのように大きく波打ち、地雷こそないものの、所々に不発弾が埋まっている。車両で進むには少々酷な地形だ。
 フェンナは荒れた大地を見ながら進んでいる内に、散々傷つけられ蹂躙されたこの大地が人を拒んでいるような気がしてきた。
 人は住む場所を求め、奪い合い、執着し、守り、そのために自らの手でその場所を失う。

(戦場って……こんなに酷い場所だったのね。こんな近くで見るまで知らなかった)
『フェンナ、前方十三メートル程の所で地面が急に落ち込んでいる。左から回った方が良い』
「了解」

 フェンナは悪路を進みながら、肩に力を入れおっかなびっくり先頭を行くグレンリーダーの指示したコースを進む事に専念していた。
 隊長の声は事務的で冷たい物だったが、誘導してくると言うだけで十分嬉しかった。
 何の誘導もなく前を進むPFに着いて行くのは不可能ではないにしろ、酷く不安に思えた。

(誰かに誘導してもらえるだけで安心できるのね……作戦行動中は、今の私みたいにパイロットのみんなも不安なのかな? だとしたらオペレーターって、ただ指示をしたり、状況を報告するだけじゃないんだろうな……自惚れかも知れないけど、もっと大切な――)
『フェンナ』
「ひゃぃっ」

 やや現実から遠ざかっていたフェンナは、急に聞こえてきたグレンリーダーの呼び掛けにすっとんきょうな声で返事をした。

『どうした? 何かあったか』
「いえ、大丈夫です。何も、ありません」
『もう直ぐ合流予定ポイントだ。そこに着いたら休める。それまでは気を抜かない方が良い』
「はい」

 その会話終え、一つ丘を越えると合流ポイントに到着した。

『よし、全機警戒態勢のままその場で待機。フェンナ、合流予定時間は?』
「ちょうど十二分後です。予定時刻よりも早く着きましたね」
『そうだな。あまり良い事ではないけどな』

 フェンナは今更ながら自分の失敗に気がついた。
 作戦行動における合流は、人との待ち合わせとは違い早目に到着し待つ事が良いわけではない。正負問わず予定時刻との誤差は少なければ少ない方が良い。
 本来ならばここまでの行軍中、オペレーター役のフェンナが時間をしっかりと確認し隊の速度を計り、グレンリーダーに伝えなければならなかったのだ。

「すみませんでした」
『気にするな、ここはまだアルサレア領内だからな。問題ない』
「はい」

 不整地を恐々と、視界の狭い指揮車両のハンドルにしがみつき運転する自分の姿を想像し、フェンナは恥ずかしくなった――私ったら、自分の事だけで、隊の一員としてオペレーターの役割もこなせないで、何も出来てないじゃないの……頑張らなくちゃ、自分で「作戦に参加させて下さい」って言ったんだもの。

『隊長、機影だ。一時の方向、丘の上、三機。今IFFで確認する』

 キースに声を掛けられると、グレンリーダーはすぐにフェンナを守れる位置に移動する。
 フェンナはどうしたら良いのかわからず、その場でじっとしていた。
 心臓の音がいやにはっきりと聞こえる――戦闘が起きたらどうしよう、どうすれば良いのかな。  狭い指揮車両の中に居ると、まるで棺桶にでも閉じ込められているような気分になりひどく不安だった。
 厚い鉄板に囲まれたここは息苦しい。
 ハッチを開けて外に顔を出せば少しは良くなるだろうが、敵が現れたかも知れないこの状況下でそれを行う勇気は持ち合わせていない。

『応答あり、確認した。味方だぜ隊長』

 通信機から流れてきたキースの声に、フェンナはほっと胸を撫で下ろした。

『そうか。おそらくアント所属の偵察隊だろう』

 息苦しさを覚えたフェンナは、指揮車両のハッチから顔を出し空を仰ぎ見る。
 降下してからずっと緊張したまま車両内に居たせいか、空は何時もに増して綺麗に見えた。
 大きく深呼吸をすると、錆と硝煙の臭いが染み付いた土埃の舞うけっして綺麗とはいいがたい空気であったが、それすらおいしく感じられた。
 だが体は正直な物で、もう一度深呼吸した時、フェンナは咳き込んだ。
 体にとって悪い空気はやはり悪い空気でしかないらしい。


―――


 ちょうど十二分後。
 埃を巻き上げ巨大なトラックが群れをなし現れた。アントだ。
 ハッチから顔を出し双眼鏡でアントの走る姿を見たフェンナは言葉を失った。
 数十機のPFを搭載し、なおかつ整備までこなせるトラックとは呼び難いモンスターマシンが約二十台。
 走るその姿は圧巻である。

『フェンナ、アントとコンタクトを取ってくれ』

 フェンナはすぐに指揮車両の中に戻り椅子に飛び乗る。
 硬いシートにお尻を強かに打ちつけてしまい痛んだが、堪えながらアントに通信を繋ぐ。
 形式通りのやり取りを行うと、トラックの群れはグレン小隊の目の前で停止した。
 すぐに荷台にPFを乗せるようにと指示が飛んでくる。

「グレンリーダー、トラックの荷台に格納するようにとの指示です」
『了解』

 覗き窓に顔を近づけ、フェンナはトラックを興味深げに見る。
 大型トラックの荷台部分の高さはPFの身長よりもやや高い程度、荷台だけの高さを見るとPFよりも低い。と言う事は荷台の中ではPFは直立できない。荷台の後ろを開いて中にPFを歩かせて行くと言う方法は取れない。
 彼女が眺めていると荷台の壁面が天辺から割れ、片側がフェンナ達の方へ向かってゆっくりと倒れてきた。
 四十メートル近い荷台側面の一部が開放される。
 グレンリーダー達はPFを開いた側面から荷台に乗せ、片膝をつかせた。すると、何処から現れたのか一斉に整備員らしき人々が数十人現れ、慣れた手付きでPFをワイヤーなどで動かないように固定する。PFが固定されると荷台側面が閉じ、元通りになった。
 フェンナが見取れているとアントのオペレーターから荷台に載せるように指示が来た。しかし、何処から載せれば良いのかわからない。
 指揮車両の覗き窓からでは視界が狭く入り口を探す事もままならないので、車載カメラを左右に動かしトラックをよく見る。
 荷台の最後尾が開いている。あそこから入れば良いのだろう。
 フェンナは車両を動かしそちらへ向かう。
 壁面が開放され、地面から一際高いトラックの荷台までスロープが延びていた。
 勢いをつけ、角度の急なスロープを登り荷台の中へ。
 目に入ってきたのは約四十メートルの荷台の両側に等間隔で片膝をつき居並ぶPF二十機、思わず彼女は「……すごい」と呟いた。そして、ハッチから顔を出し溜息混じりにもう一度、

「すっごい……」

 フェンナが整然と並ぶPFに見とれていると、出し抜けに下から掛け声が聞こえてきた。

「全員整列っ!」

 何事かとハッチから体を出し、指揮車両の上に立って眺めてみると、ちょうどPFと同じ数の整備員たちがずらりと並んでいた。

「フェンナ=クラウゼン様に、全員敬礼っ!」

 その中で一番高齢と思われる男の号令で全員が一斉にフェンナに向け敬礼する。まるで荷台に並ぶPFも敬礼してるかのような気がして、フェンナは圧倒され呆然とした。
 敬礼した整備員たちはフェンナの反応がないので敬礼をしたままの姿勢を維持して動かない。
 緊張した空気が漂いだし一分、フェンナがようやく口を開いた。

「あの……こ」

 こう言うの困ります。と言おうとしたが整備員たちの真剣なまなざしを見るとそれは言えなかった。

「皆さん、お出迎え。ありがとうございます」

 笑顔で返礼する彼女に、整備員たちは満足したらしく緊張した空気が消えた。

「っさ、フェンナ様。こちらへどうぞ。あちらでグレン小隊の皆さんがお待ちです。お手を汚さぬように車両は私達の方で固定しておきますので、お任せ下さい」

 自分は将軍の娘ではなく一人の軍人、自分のやるべき事は自分でやる。過保護な特別扱いは受けたくない。内心、フェンナはこう言った自分を特別扱いしようとする人間に出会うたびに苛立ちを覚えていた。
 しかし、今回も通例どおり、断ると悪い気がして断る事ができず、

「では、お願いしますね」

 と言ってしまう。
 整備班長らしき人物に体を支えられながら指揮車両の上から降りると苛立ちを隠すように、にこやかな顔を作る。
 フェンナの乗っていた指揮車両が固定されるとトラックが動き出し、それを合図に一台また一台と他の車両も今夜の野営地へと向かい群れをなし、蟻の如く移動を開始した。


―――


 日が傾き辺りの色が変わり始めた頃、アントは野営地に到着した。
 大きな岩陰に分散し、全てのトラックを隠し終わると、アント全体が活気に満ちてきた。自走整備工場とも言えるアントが、移動中には行えなかった本格的な整備を開始したのだ。
 グレン小隊の面々は、自分たちの機体が納まっているトラックから離れ、小振りなトラックへと移動した。
 そのトラックは宿泊施設としても使われるらしく、いくつもの個室があった。
 小隊全員に個室を割り当てられていたが、今回の作戦で行動を共にするギブソン中隊との合流時間が近かったためトラック内にある作戦室にアイリを除く全員が集っていた。
 彼女は今、アントの司令官の所へグレンリーダーの代理として今回の詳細の示された作戦指令書とそれを収めてディスクを受け取りに行っていた。
 グレンリーダーの手元には既に作戦指令書はあるのだが、そこに記されているのは大まかな概要と「アントへ移動してギブソン中隊と合流しろ」と言う指示だけで、具体的な作戦行動の指示は何一つ書かれていないのだ。
 普通の作戦ならば最初から事細かな指示書が渡され「後は作戦を実行するだけ」となるのだが、今回の奇襲作戦は念には念を入れて準備しているのだろう。
 万が一グレン小隊が移動中に襲撃に遭い敵に情報が渡る可能性を避けるために、作戦本部は最初から指示書を渡さなかったようだ。

「アイリ=ミカムラただいま戻りましたっ!」

 部屋の自動ドアが開くと、アイリが敬礼と共に元気よく帰還を告げた。

「ご苦労」

 グレンリーダーはそっけなく返事をしたが、彼女はそれでも満足した様子で、足取りも軽く彼に近寄り作戦指令書とディスクを手渡す。
 彼は壁に寄り掛かりながら指令書に目を通し始める。
 キースがずるずると椅子を引き摺りながらグレンリーダーに近寄って行く。

「よぉ、隊長。今回の作戦はどんなんだ?」
「それはギブソンが到着してから伝える」

 指令書から目を離さずにそう言った。

「Who? ギブソンってのは誰だい」
「そう言えば言ってなかったな。ギブソンと言うのは、合同で任務にあたるスティールレイン連隊所属砲撃中隊の隊長だ。フルネームはギブソン=ドゥナテロ。彼は俺の同窓なんだ」
「へぇ、そうだったのか」
「けっこう前の事なんだが、ギブソンが――」

 グレンリーダーがギブソンの事を話そうとした時、内線電話が鳴り出し言葉を遮った。
 フェンナが受話器を取り対応する。

「はい……はい、そうですか、わかりました……グレンリーダー、ギブソン砲撃中隊が到着したそうです」
「そうか、どうするかな……アイリ」

 それまで黙ってつまらなそうに自分の端末機をいじっていたアイリが、グレンリーダーに声を掛けられ顔を輝かせた。無論、彼はそんな変化などわかりはしない。

「なんです隊長」
「ギブソンを迎えに行ってくれ」
「了解」
「あの、私が行ってきましょうか? アイリさん、さっき指令書を取ってきてくれましたし」
「良いって良いって、こう言うのは下っ端に任せといてよ」
「そう言う事だ。フェンナはこれに目を通しておいてくれ」

 そう言ってフェンナに作戦指令書を差し出したのだが、どう言う訳か部屋の空気が凍り付いていた。

「……どうしたんだ?」
「じゃ、じゃぁ、あたし行って来るから。えっと、スティールレイン連隊のギブソン砲撃中隊隊長ギブソン=ドゥナテロだよね?」
「そうだ。ギブソン=ドゥナテロ少尉」
「了解、っじゃ」

 アイリは明るい声を残して部屋を後にした。

 そして数十分後。

「アイリ=ミカム――」
「いよぉ、久しぶりだぞいっ!!」

 戻ってきたアイリの声と体を押しのけ、ギブソンがずかずかと部屋に入ってきた。

「久しぶりだな、ギブソン。相変わらず元気そうだ」
「お主はなんか調子悪そうだぞい」
「そうか?」
「あんまり飯を食っとらんのだろ。いかんぞい、わしのようにたらふく食わんと。がっはっは」

 腹を叩きながら笑うギブソンの勢いに、アイリもフェンナもキースも呆気に取られた。

「さて、ギブソンも来た事だし、作戦の概要を読み上げてくれるかフェンナ」

 グレンリーダーは自分の小隊員の紹介も、友人の紹介もせずにフェンナに言った。

「あ、はい。えっとですね……」
「お主が、将軍閣下の娘さんか、なんか想像しとったのと雰囲気違うぞい」
「そ、そうですか」

 彼女はいしゅくして小動物のように身を縮こませる。

「ところで、わしの紹介はしてくれんのか?」
「そう言えば、そうだな……紹介してなかったな」
「まったく、おぬしは相変わらずだぞい」

 ギブソンに言われるまで紹介する事をすっかり忘れていたグレンリーダーは、各人を簡単に紹介。
 それを終えると、フェンナが作戦の概要を説明し始めた。

「では、説明を始めます。まず国境付近まで――」

 作戦の概要は以下のような物だった。
 まずグレン小隊が国境付近までアントの輸送トラックを使い移動。
 侵入ポイントから北数十キロメートル地点の陽動部隊の戦闘開始を待ちヴァリム領内に侵入。
 途中、ABCD四箇所の中継ポイントを通りギラ・ドゥロ補給基地の近くまで二日掛けて移動、待機。
 ギブソン砲戦中隊は一日遅れで移動を開始し砲撃地点のBポイントで待機。
 ミラムーンの国境を越え侵攻するミラムーン所属陽動部隊に誘われオーガル・ディラムが動き出すのを待ち、グレン小隊は基地への奇襲攻撃を開始。
 グレンリーダーが敵基地に侵入し、燃料貯蔵庫の位置を確認、記録。
 ギブソン中隊に位置データを送信し砲撃。
 燃料貯蔵庫を破壊し敵地下基地機能を麻痺させる。

「ありがとうフェンナ。さて、何か質問はあるか?」

 キースが静かに手を上げるのを見て、グレンリーダーが頷く。

「ミラムーンが囮をやるみたいだけどよ。しっかりと長時間敵を引きつけておいてくれるかどうか、俺っちは正直不安なんだけど……そこんところ隊長どう考えてんだ?」
「たしかにミラムーンは、軍を構成する兵器の質においてアルサレアに劣るかも知れない。だが作戦本部は陽動を行えるだけの戦力があるから、このような作戦を立てたのだろう。信じるしかないな」
「信じる……ね。っま、たしかにそれしかないわな、わりぃわりぃ馬鹿な質問しちまった」
「まぁ気持ちはわからないでもないさ。どんな作戦でも俺達は本部を信じて与えられた任務に全力を注ぐしかない。だが、安心できる情報もある。ミラムーンの陽動部隊にはレガルト小隊が参加するらしい」
「レガルト小隊か……そりゃ少しは安心できるかもな」

 レガルト小隊、アルサレアに数多く存在する特務小隊の一つで、宇宙を中心に活躍している部隊だ。その実力、任務の成功率はグレン小隊に勝るとも劣らない。

「それに付け加え、今回のミラムーンはPFを投入するらしい」
「へぇ、ついにミラムーンもPF投入か」
「まだ、試作段階で機数はかなり少ないらしいがな……たしか名前は」

 作戦指令書を持っているフェンナを見る。紙をめくる音が室内に響いた。

「えっとぉ、名前はゼムンゼンですね」
「だそうだ」
「そりゃまた、変な名前だな。なぁ、アイリ」
「そうだね、何か弱そうな感じ。ただの張りぼてだったりして。装甲なんて四足歩行戦車並みなんじゃない?」

 キースに合わせるようにアイリはふざけた調子で返事をした。すると、

「アイリ、名前で性能が決まるわけじゃない。少なくともヌエと同程度の、実用に耐えうる性能はあるはずだ」

 グレンリーダーは至極真面目な顔で言った。

「あ、え? 別にそう言う意味で言ったんじゃなくて……今のは冗談で、作戦に使うんだから実用に耐えうるのは当り前で――」

 言葉を真面目に受け取ってしまった彼の誤解をどう解いたものか、頭を悩ませ口を動かし続けるアイリ。
 混乱した頭が動かす口から出てくる言葉を真剣に聞くグレンリーダー。
 誤解は解けるどころか益々こんがらがって行く。
 そんな二人を見て、ギブソンが顎が外れるのではないかと言うほどの大口を開け笑い出した。

「ギブソン、何を笑っているんだ?」

 不思議そうな顔で尋ねる彼の言葉で、太鼓腹はさらに激しく、室内に鳴り響いた。


―――


 三十一時間後。まだ日が昇るには早い時刻。
 ギラ・ドゥロ補給基地近くの森の中にフェンナの乗る指揮車両の姿があった。
 辺りにグレンリーダーたちの姿はない。
 彼らはより基地に近いところで身を潜めている。
 フェンナは指揮車両から離れ、小高い丘に登り、敵基地の隠されている楕円形の形をした巨大な一枚岩を双眼鏡で監視していた。
 既に陽動部隊がミラムーン側からヴァリム国内に進行し、ギラ・ドゥロ補給基地に背中を向け戦闘を始めている。
 後は問題のオーガル・ディラムが餌に誘き出されるのを待つだけ。そう、彼女は巨大空中空母が動き出すのを待っているのだ。
 早起きの鳥たちや虫たちのささやき声を聞きながら、巨大な岩を見ているとフェンナは不安になってくる。
 辺りには似たような岩が二個三個点在している。いま自分が監視している岩の内部に本当にヴァリム補給基地が、巨大な空中空母が隠されているのだろうか?
 軍から提供された情報によれば基地があの岩山の中にあるのは間違いない。だが何処から見ても――カモフラージュが施されているのだからそう見えるのは当り前なのだが――自然の岩山。
 頭ではあれが敵基地だとわかっていても、感覚的にはなかなかそう思えなかった。

「本当にあれが基地なのかしら?」

 監視を始めて五回目の独り言。
 普段あまり独り言を言わない彼女だが、気持ちを落ち着かせようと自然と声が漏れてしまう。
 何度も小動物が揺らす草の音に身をすくませながら時を過ごし、鳴いている虫たちの種類がかわり始めた頃、かすかに何か大きな物が動く音と揺れを感じた。それはあまりにわずかな時間だったために錯覚かと思えた。
 フェンナは白い息をゆっくりと吐き出しながら耳を澄ます。
 気がつくと先ほどまで鳴いていた虫や鳥たちの声が止んでいる。辺りは僅かな風でこすれあう葉の音だけが満ちている。
 その音に隠れに様にして先ほどの音はまだ続いていた。何かを引き摺るような地の底で何かが動いているような音。
 問題の岩山を見ると、上部から横広に湯気が立ち上っていた。まだ日は昇っていない。岩の向こう側に泉があると言うこともない。
 不自然な湯気、人工の湯気。
 フェンナは双眼鏡で岩よく見る。
 最初は湯気が上がっていただけであったが、やがて辺りの空気が震えだし、何かが岩の中から現れた。それはゆっくりと徐々に姿を現す。
 オーガル・ディラムだ。
 空中空母がその全様を現した時、フェンナは思わず、

「なに、あれ、は……」

 言葉を漏らし、全長五百メートルを超える巨大な人工物が空に浮かぶその姿に寒気を覚えた――物を破壊する道具でしかない兵器、他者を捻じ伏せ己が意を通すための手段、肥大化した人間の悪しき本能、戦禍で肥太った過ぎたる欲望、それらの象徴。
 恐怖とも怒りとも、喜びとさえ取れかねない感情の高まりで生じた「すぐにでも指揮車両の中に駆け込みたい」と言う衝動を抑え、その場にとどまり動向をうかがう。
 だが、オーガル・ディラムが巨石の上で方向転換しこちらに真っ直ぐ向かってくるのを見ると、森の中へと駆け込み、木の影に身を隠さずに入られなかった。
 オーガル・ディラムがすぐ真上を通る。
 どのような推力で移動しているのかはわからないが音は静かだ。それが不気味に感じる。
 視覚的には巨大ではっきりと存在感があるのに、それに似合わず起てる音が小さいためにその存在感に現実味がない。
 幽霊でも見ているような、そんな印象を受けフェンナは身震いした。
 やがて巨大な亡霊は南東の空へと姿を消す。陽動部隊が戦闘を行っている方角だ。陽動は成功したと考えて良いだろう。
 木の影から辺りの様子を窺うと、息を止め指揮車両へと駆け出し、中へ入りハッチを手早く閉める。そして、そこでようやく息を吐き出す。
 首から掛けていた双眼鏡を放り出し、腕時計のタイマーを十分後にセット、時を待つ。
 オーガル・ディラムが出撃してから十分後、フェンナがグレンリーダーに通信を入れる。それが突入のタイミング。
 しばらくカウントを続けるデジタル表記数字を眺めている内に自分が大事な仕事を忘れている事に気がついた――十分の間にオーガル・ディラムが戻ってくるかどうか見張っていないとっ。
 フェンナは勢いよくハッチの扉を開き、基地を監視していた丘の上へと駆け上がる。
 オーガル・ディラムが去り、辺りでは再び虫たちが鳴き出している。一枚岩の上から湯気は消え、全ては元通りになっていた。幻でも見ていたような気分だ。
 だが、刻々と進む腕時計のタイマーが幻でなかった事を物語っている――ともかく、監視を続けないと。
 監視対象の巨石を見つめながら、首に掛かっている双眼鏡を取ろうとしたが、手に伝わってきたのは冷たい双眼鏡の感覚ではなく、柔らかい肉の感触。
 視線を下ろす、自分の手で自分の胸を掴んでいた。慌てて手を離す。
 フェンナは辺りをきょろきょろと見回すと、頬を紅くして全速力で双眼鏡を取りに指揮車両へと駆け戻った。


―――


 目を瞑っていたグレンリーダーの鼓膜を電子音が揺らす。
 モニターを見るとコールサインが灯っている。つなぐとフェンナの声が聞こえてきた。

『カルボキシリック0よりカルボキシリック1へ、石見銀山猫いらず』

 突入の合図だ。

「了解。俺が先行する。2は援護。3は敵PFを警戒しろ」
『2、ラジャー』『3、了解』

 三機のPFは隠れていた場所から一機に飛び出し、ブーストの軌跡を残しながらナビゲーションソフトの指示通りに目標の巨石を目指す。
 移動を始めてすぐにロックオンを知らせる警戒音がコックピットに響いた。薄い緑色の映像が映る正面モニターに赤く“cannon”の文字が灯る。
 地面の下に隠されていたらしく次々と新たな砲台が生えてくる。
 グレンリーダーは移動速度を落とすことなく、的確にそれらの防衛設備を破壊して行った。しかし、彼のJファーカスタムに装備されている射撃兵器は散弾を放つショットガン。連射性集弾性ともに劣るため、いかに彼の腕がよくとも砲台を撃ち漏らしてしまう。それをキースがスマートガンでカバーし、砲台を尽く破壊して行く。アイリに出番はなかった。
 ものの数十秒も経たずに巨石が見えてきた。一見すると岩にしか見えないがナビゲーションソフトは「直進せよ」と指示している。

「2、3、後は任せたぞ。敵勢力を排除しこの場を確保するんだ」
『Yea』『了解』

 PFの二倍はあろうかと言う巨大な隠し扉。
 グレンリーダーはそれを工作員が入手した暗証コードを乗せた電波により開き、ギラ・ドゥロ補給基地内部へと勢いよく飛び込む。スピーカーから「隊長、気をつけて……」と言う声が流れたが彼の耳には届かなかった。

 薄暗い照明の通路を百メートルほど進むと、長方形にくりぬかれた地肌の露出している広い空間に出た。
 機体を立ち止まらせ、辺りの様子をうかがう。

(……妙だな)

 グレンリーダーはいぶかしんだ。
 奥行五十メートル、横幅十五メートル、高さ三十メートル、天井に照明が備え付けられており部屋は明るい。
 妙な点は室内に何もない事だ。
 運搬作業に使う機械、コンテナ、見事に何もない。
 地面に長時間重い物が置かれていたと思われる痕跡があることから、倉庫であろうと推測できるのだが……。

(おかしい。この部屋には何故何も置かれていないんだ? 倉庫ではなく、ただの通路だとしても広すぎる……まさか、ヴァリムは俺達の襲撃を知っていた? 既にこの基地は放棄する準備が整っているのか?)

 胸中で不安が鎌首をもたげる。

(こちらの動きがばれているとなると、これは罠か。だとしたらフェンナッ! キース、アイリ……)

 彼は衝動に駆られ機体を反転、元来た道を引き返そうとしたが、

『ラットよりアセティック、アセティック』

 不意に入ってきた通信が彼を引き止める。

(ラット、工作員か)
『ラット、アセティック』
「こちらアセティック。ラット」
『今からそちらにデータを送る。ナビゲーションシステムを立ち上げておいてくれ』
「了解」

 言われたとおり、ナビゲーションシステムを立ち上げる。
 メインモニターの隅にナビの情報ウィンドウが開かれ、そこにデータ受信中の文字と終了予定時間――“one miuntes”――が表示される。
 ただのナビゲーションデータのはずだが、それにしては時間が掛かる。

(罠だろうが何だろうが、今更引き返せない……キースとアイリは何とかなる。だがフェンナは……無事だと良いが)
『必要なデータは送信した。ところで通信テストは行ったか?』
「いや、まだだ」
『……』

 スピーカーから溜息のような音が漏れてきた。

『通信は不可能なはずだ』
「通信不能か。となればマッピングが必要だな」

 予め予想されていた事ではあるが、それはグレンリーダーが無事に基地の奥まで行き、目的地である燃料貯蔵庫の位置を確認。そして、基地から無事に脱出しなければならないと言う事を意味していた。
 通信が可能であるならば、燃料貯蔵庫までPFで侵入し、自ら電波を発するマーカーをセットすれば済むのだが、通信が通らないとなればそうはいかない。
 基地入り口から燃料貯蔵庫までPFで進みながら測量を行い立体的な地図を作成。
 基地から脱出後、マーカーをセットし、作成した地図を元にしたマーカーの位置誤差修正データをフェンナの搭乗する指揮車両を経由し砲撃隊へと送り、燃料貯蔵庫の正確な位置を知らせるのである。
 測量はPFに備え付けられているソフトさえ立ち上げれば後はコンピューターが勝手にやってくれるので楽ではあるが、少々時間が掛かってしまう欠点がある。だが、それしか方法がないのだから仕方がない。
 グレンリーダーは地図作成ソフトを起動した。

『俺はこれから脱出準備に入る。幸運を祈る。アルサレアに勝利を』
「アルサレアに勝利を」
『ん? アセティックそちらにPFが向かっている』
「なに?」
『イリアだ、気をつけろ』
「イリア?」

 倉庫奥にある重く巨大な扉が開き、白を基調とした細身のフレームで構成された見たこともないPFが三機。

「……あれがイリアか?」

 グレンリーダーは呟いた。
 それに反応するかのように、

 ――EnemyPF:I・Ria
 ――EnemyArms:LaserSpear&LaserPistol

 モニターにデータが表示される。
 ヌエなどに比べれば明らかに登録されているデータは少ない。グレンリーダー自身初めて遭遇する敵だ。慎重に敵の性能を探りながら戦うのが定石だが彼は、

(……時間が惜しい)

 突貫。
 恐れる事もなく、真正面から突撃した。
 三機のイリアは一斉に手にしたレーザーピストルを構え、矢継ぎ早にレーザーを放つ。
 レーザーが放たれた時、既にグレンリーダーは機体を横にスライドさせて回避行動をとっていた。
 通常のPFが装備する実弾兵器ならば十分に回避が間に合うタイミングだ。
 だが、レーザーの速度は早い。

 ――damage

 モニターに警告メッセージ。
 レーザーが命中したのだ。
 着弾時の衝撃はない。その事が彼に不快感を抱かせた。

(……レーザー全盛期時代、か。ゲームの世界だな)

 グレンリーダーは一機のイリアに狙いを定め、不快感を振り払うように雄叫びを上げると機体をさらに加速させる。

(あと少し、あと少し……きたっ!)

 ショットガンの有効射程距離内に入ると、右端のイリアに向け連射。
 PFの性能から見れば、弾速が遅く早めに回避行動を取れば優々と避けられる実弾兵器だが、ショットガンは放射状に弾が広がる。マシンガンなどに比べ命中率は高い。そして何よりもレーザーとは違い着弾すれば衝撃を与え、敵の動きを一瞬止める事が出来る。
 散弾一発当りのストッピングパワーは他の実弾兵器に比べ低いが、機体重量が軽いイリアには十分な効果を発揮した。
 数発の散弾を受けたイリアは攻撃の手を止め、回避行動に移ろうとした。だが、一度足を止められた後ではそれは遅すぎ、二射目の散弾をまともに受けイリアはその場に崩れ落ちた。
 距離をつめたグレンリーダーに、リーダー機と思しきイリアがレーザースピアを振るい襲い掛かってくる。
 彼はこれを紙一重でかわし横を抜け様に切る。そして、もう一機のイリアに向けショットガンを放つ。
 命中。
 動きが止まった所をレーザーソードを一振り。
 撃破。
 後ろを振り返り、先ほどレーザーソードで抜け様に切ったイリアに止めを刺す。
 敵勢力沈黙。

(敵は後どれ位いるんだろうな……)
『ダウンロード完了。音声案内ヲ開始シマス。E−07ノ扉ニ向カッテクダサイ』
(今は先に進むしかない。みんな無事でいてくれよ)
『E−07ノ扉ニ向カッテクダサイ。E−07ノ扉ニ向カッテクダサイ』


―――


 基地への突入合図を送ってから十二分。
 今頃グレンリーダーは基地の中に突入し、戦っているはずだ。
 いくら陽動が成功したとは言え敵の前線補給基地、それも大型新兵器オーガル・ディラムの離発着基地である。
 残存戦力はかなりの物だろう、その戦闘の激しさは容易に想像がつく。だが、明け方の爽やかな静寂に浸かっているとそんな事はどこか別の世界、夢の中の出来事のような気がしてくる。
 重なった疲労と安らかな静寂の子守唄。
 ともすれば本当の夢の中に落ちそうになる意識を保ちながら、フェンナは待機していた。
 基地への突入合図を出し終えた彼女の次の仕事は、グレンリーダーが探っている砲撃ポイントデータのギブソン中隊への中継送信。
 作業そのものは単純だが、正直なところフェンナは自分にそれが行える自信がなかった。
 アルサレアにとっては「敵基地機能を麻痺させる作戦」だが、フェンナにとっては「誰か顔も知らない人間を死に追いやる作戦」だからだ――まだ麻痺していない感覚と豊かな想像力、戦わざるを得ない環境に育っていないのがそう思わせているのかも知れない。
 頭の中でとは言え「戦争に参加すれば遅かれ早かれ誰かをその手で危めてしまう」覚悟はしていた。だが間接的とは言え基地への砲撃、下手をすれば何百人と言う人間を殺す作業の一端を担う覚悟はなかった。
 オペレーターである彼女は何時も間接的に作業に参加する事が多い。初陣とて間接的に敵の殺害に加わっていた事は事実だが、それは「自分の意思で行う事を意識していた」わけではなく、いたたまれない気持ちにはなったがどこかしら自分には関係のない出来事のように思える部分があった。
 今回は違う。
 自分の意思で受け取った攻撃目標をしっかりと送信しなければならないのだ。送信先はすでに設定されているので、作業そのものはボタンを一つ押すだけで済む。
 だが、自分の作業で基地への砲撃が始まると思うと気が重かった。自分の作業が人の命が奪うと思うとボタンは押せそうになかった。
 作戦の目的は基地機能を麻痺させることと聞いている。そのためにエネルギープラントの活動に必要な燃料貯蔵庫をピンポイントで砲撃するのだ。その場所は厚い耐爆ドアで隔離されているはずだし、基地内部への被害は最小限に抑えられるはず、そのためにピンポイント攻撃なのだから――そうよ、きっと大丈夫。エネルギープラントなんていまや無人で動いてるのが当り前だし人は死なないわ。人のいる制御室だって事故に備えてずっと離れた安全な所にあるはずだし。
 己のが心に言い聞かせ、彼女はその時を待ちイヤフォンマイクを着け受信待機状態の通信機にひたすら耳を傾けていた。

『……リ、敵さ……お出……だ……』

 敵?――ノイズまじりの聞こえてきたキースの声。周波数帯を調整してノイズを軽減する。

『ヴァリムの新型? でも、隊長が戻ってくるまでここを守らなきゃいけないんだ。いくよキースッ!』

 どうやら戦闘が始まったようだ。
 ハッチから顔を出し双眼鏡で覗いて見ると、ぱっぱっと輝く青白い光と、うっすらと赤味がかった光で交戦するPFの姿が断続的に浮かび上がる。
 アイリとキースの二人に対し、敵は四機。
 見たことのない細身の敵機に向かいJファーが突撃する。

『下がれっ!』

 通信機から聞えるキースの叱責、と言う事は突撃しているのはアイリ機だ。
 敵から音もなく青白い光が放たれたかと思うと次の瞬間、Jファーの装甲から火花が飛び散る。
 レーザー兵器、敵のPFはレーザーを積んでいるようだ。
 音もなく静かなレーザーに対し、アイリ機は軽快な音を響かせサブマシンガンを豪快にばら撒く。しかし素人であるフェンナの目から見ても功を奏していないのがわかる。むしろ敵に乗せられているような感じがする。
 アイリ機はそのまま誘い出されるかのようにキース機から離れる。
 その結果、二人とも離れ離れとなり二体一の戦いを強いられる状況となった。
 内心、何かしないではいられない気持ちであったが、できる事はただ見るだけ。仲間を信じて見続ける、ただそれだけ。フェンナはじっと戦場を眺め続けた。
 戦闘はしばらく膠着状態が続く。
 アイリとキース、二人は二体一の不利な状況ながらも互角以上の戦いをしているように見え、敵に致命的な一撃を加えずともじわじわとダメージを与えていく。そのままの状態を維持すれば二人とも確実に敵を撃破する物と思えた。
 だが、

『負けるもんかぁっ!』

 何を思ったのかアイリ機が強引に敵との距離を縮め勝負に出ようとする。

『馬鹿っ、無茶はやめろっ!』

 キースの言葉は彼女に届かない。
 アイリ機に二機の敵が放つレーザーが集中する――フェンナの手が震えだす。
 機体全面が赤く熱せられる――目を閉じる。それ以上見ていられなかった。
 爆発音――肩を震わせ双眼鏡を取り落としてしまう。

「……アイ、リさん……」

 ゆっくりとした動作で車両の中に戻り椅子に腰掛けると両肩を抱く。豊かな想像力が最悪の事態を思い描いた。
 が、それは通信機から聞こえてくる声ですぐに打消された。

『逃がすかぁっ!』
(……よかった無事だった)

 ほっとしたが、ハッチから顔を出し再び双眼鏡で見る気にはなれなかった。
 見なくともイヤフォンから聞えてくる音は戦闘の続きを中継する。

『Damn it! 一機行ったぞ』
『こんなときにぃっ!』
『なに呑気に歩いてるっ!?』
『オーバーヒートしてんのよ』
『What? 無茶するからだ。さっさと逃げろ。基地の中に逃げ込め』

 状況はあまりよくないようだ。
 イヤフォンを放り出し何も見ず何も聞かず何もせず逃げ出したい、そんな気持ちを押さえるように身を震わせ硬く目蓋を閉じ、通信を聞き続けた――逃げるわけにはいかないものっ。

『逃げるわけにはいかないのよっ。あたしは、あた――』
『馬鹿野郎っ! くだらねぇ意地はってんじゃねぇ。頭冷やせ、俺らがやってんのはガキの喧嘩じゃねぇんだぞっ!』

 しばらく間を置き。

『キース、下がらせてもらうね』
『早く行け、俺もすぐに下がる』

 それっきり二人の通信は途絶えた。
 戦闘の音が止み、先ほどまで聞えていなかった虫たちの声が聞こえてくる。すると体の震えが自然におさまった。
 ゆっくりと目を開け外に出てみた。
 辺りは静まりかえり戦闘の跡など微塵もなかった。何もここで戦闘が行われたわけではないのだから当り前なのだが、不思議な気がした。
 フェンナは双眼鏡を取り上げた。しかし、すぐには覗かない。

「……二人とも……大丈夫よね。爆発音、してないし、きっと大丈夫。大丈夫よ」

 震える声で自分に言い聞かせてから、恐る恐る覗き込んだ。
 相変わらず遠目には基地に見えない一枚岩、PFの姿は何処にも見当たらないが戦闘の痕跡があった。
 弾痕、薬莢そしてPFの残骸。
 残骸を一通り眺めてみたが、それがヴァリムの物なのかアルサレアの物なのか、フェンナには判別がつかない。
 目を瞑りJファーの姿を思い浮かべる。浮かんでくるとそれをしっかりと記憶に焼付け、もう一度残骸を眺める。
 やはり判別がつかない。
 指揮車両の中に戻りシートに腰掛ける。硬くお尻が痛くなるので嫌いなシートだが、今の彼女には安楽椅子よりも座り心地がよかった。

(……私、どうしたら良いの……お父さん。どうしたら……)

 マイクのスイッチに指を掛けたままの姿勢で、彫像のように固まり考え込むフェンナ。
 どうしたら、そこから先には思考が進まない。

 ――どうしたら、どうしたら、どうしたら。

 何度かそう考えている内に今度は何も考えられなくなってきてしまい頭が真っ白になる。
 しばらく経つと今度は「汗ばんだ肌にべったりはりつく下着が気持ち悪いな」などと、どうでも良い事が頭に浮かんでくる。そして再び我に返り、

 ――どうしたら、どうしたら、どうしたら。

 堂々巡りであった。
 どうしたら良いのか本当はすでにわかっていた。
 待つのだ。
 侵入路兼脱出路の確保に当っていた二人はどうなってしまったのかわからないが、生死はともかく行動不能かそれに近い状況に陥った可能性が高い。
 だが、内部に侵入したグレンリーダーがどうなったかはまだわからない。
 まだ中で戦闘を続けているのかも知れないし、目標ポイントを確認して脱出の途中かも知れない。
 なんにせよ自分にできる事はもうしばらく待ち。作戦が失敗か否か判断し、ギブソン中隊にそれを伝える事。
 どんなつらい結果だろうとも、それを待ち。ありのままを伝える。それも一つのオペレーターの仕事だ。
 頭ではわかっていた。
 彼女が悩んでいるのは、アイリやキース、下手をすればグレンリーダーまでもが敵の捕虜となったかあるいは死んでしまったか、そう言った最悪の事態が在り得なくもないと判断できる要素を認識してしまった事。それが受け入れ難いためである――もし、みんなが、みんなが……。
 最悪の事態を想像すると不安でたまらなかった。安心したかった。グレンリーダーもキースもアイリも、みんな無事だと言う事を知り安心したかった。
 そこから生まれるのは「通信で確かめれば」と言う危険極まりない安易な気持ち。だがそれは敵にわざわざ自分の居場所を知らせる危険な行為、しかも仲間に通じる可能性などほとんどない愚かな行為。それを知るフェンナの本能が、思考のループを作り出し、体を彫像のように固めている。

――どうしたら、どうしたら、どうしたら。

 ふと、音を聞いた気がした。
 フェンナは耳を済ませる……聞えた。それは爆発音。
 指揮車両の外に出て、辺りを見回す。
 基地の方で何かが爆発するのが見えた。
 双眼鏡を手に取り確かめる。

(……良かった)

 目に入って来たのは傷ついたアルサレアの三機のPF、三人の機体。その姿を見ただけフェンナの目に涙が浮かんだ。

『アセティック、カルボキシリック0応答を。カルボキシリック0応答を。こちらアセティック』

 イヤフォンから聞こえてきたグレンリーダーの声。指揮車両の中に戻り、すぐに応答する。

「こちらカルボキシリック0。よかった無事だったんですね」
『あぁ、なんとかな。データを転送する、送信を頼む』
「はい……あのマーカーは?」
『入り口にセットした。そちらでも確認できるはずだが』
「え……はい。確認しました。セットされてますね」
『では、送信を頼む』
「了解」

 データはすぐに送られて来た。
 あとは衛星を介したレーザー通信でギブソン中隊に送信すれば任務完了だ。
 フェンナはデータを慣れた手付きで、迷わず、素早く送信する。データのやりとりは訓練校での練習で目を瞑っていてもできるぐらいになっている。
 送信する作業は実に簡単だった。実にあっけない物だった……実に。

「送信完了です」

 グレンリーダーにそう言ってから、フェンナは驚いた。
 送信できるはずもないと思っていたのに、なんの躊躇もなく、いとも容易く送信できたからだ。

『ごくろう。ギブソンリーダーへデータは送信した。後は任せたぞっ!』
『遅〜〜いっ! 待ちくたびれたぞい! ちゃっちゃと引っ込めい!!』
『……やな感じぃ』
『そう言うな。あれでも支援砲撃に関しては超一流なんだ』
『っま、俺達の努力が無駄にならない事を祈ろうや。それより早く引き上げようぜ。巻き添えはごめんだ』
『よし、各機合流ポイントまで移動だ』
『Yea!』『了解』

 私もみんなも、どうして平気でいられるの?――ギラ・ドゥロ補給基地の人々がまもなく大量で死ぬであろうこの時に、何時もと変わらぬ皆が、何も感じていない自分が、恐ろしかった。
 外から激しい砲撃の音が聞えてきた。始まったようだ。

『フェンナ。聞えたか、移動だ?』
「……はい」
『聞えているなら返事をしてくれないとな』
「すみませんでした。移動を開始します」

 フェンナは指揮車両を動かし移動を開始する。
 しばらく進むと、

『……大丈夫、フェンナ?』

 先の通信のやり取りでどことなくおかしい事に気がついただろう、レーザー通信でアイリが声を掛けてきた。
 返事を返そうとしたが声が出てこない。かわりに出てきたのは涙だった。

『フェンナ?』
「……大丈、夫です」
『フェンナ……あたしがさ、周り警戒するから。フェンナは運転だけに集中しなよ。あたしに任せといて、しっかり安全は守るからっ! っね、安心して、もう大丈夫だから』

 涙が止め処なく落ちる。

「……ありがとうございます」
『うん。任せといて。火事が起きてるけどここまで来るには時間掛かりそうだし、ゆっくり行こ』
「火事、ですか?」
『そう、森がね。砲撃の影響で燃えちゃってる……』
「こうやって生き物の住む場所、なくなっちゃうんですね……」
『え、なに? ごめん、聞き取れなかった』
「なんでも、ありません。合流ポイントに向かいましょ」
『そうだね』


―――


 数時間後。
 合流ポイントまで敵と遭遇する事もなく到着し、グレン小隊はギブソン中隊と合流した。
 オーガル・ディラムは陽動部隊との戦闘中にギラ・ドゥロ補給基地の異変を察し、すぐに撤退を開始。巨大空中空母に損傷らしい損傷は与える事ができなかった。しかし、戦闘データを得る事ができた事もありアルサレアとしてはまずまずの戦果と言えよう。
 合流地点。
 フェンナは指揮車両の屋根に腰掛け、撤退準備に追われる隊員たちの姿を眺めていた。
 すでに日の出の時刻は過ぎているが、雲が多いため辺りはまだ薄暗い。
 背中に暖かさを感じ振り返る。
 雲の切れ間から太陽が顔を覗かせていた。
 立ち上がり生まれたばかりの太陽を眺める。

(新しい一日がもう始まっているんだ)

 雲のヴェールが陽光を屈折させ拡散させ或いは集め、空を輝かし幾条もの光の雨を地上に降り注がせる――幾人かの兵士が朝日の羽衣を帯びたフェンナに見惚れ足を止めた。
 目の前の美しい光景に普段ならば素直に感動する所だが、ささくれ立った心には物悲しい気分をもたらした。

(日は沈んでもまた昇り、あまねく万物を平等に照らす。人は死んでしまえばそれまで。底を欠いた器が水を留め置く事が叶わないように……お父さん、こんなに辛い思いしてたんだね。私、わかっているつもりだったのに、わかってなかった……お父さん、会って話せたら良いのに

 父に会いたい、それが叶わぬ願いだと、太陽は雲に隠れてしまう。
 辺りは再び薄暗く、薄暗く……。

 アルサレアとヴァリムの戦争は曇り空のように未だ先は見えず、ますますの混迷を極めて行く。









 〜第四話 了〜

 



 後書き

 まずは、始めに謝らせて頂きます。
 リレー参加者の皆さん、たいへん時間をかけてしまい申し訳ございませんでした。
 第二話に続きまして、第四話を書かせて頂いたわけですが……書き始めは今年の前半、書き終わりは今年の後半、いやはや、本当に面目ございません。まぁ色々とあったのですが何も言いますまい(苦笑)
 今回の内容が、掛けた時間に見合った内容かどうかは私には判断できかねますが、ほんの少しでも読んで頂いた方に楽しい時間を提供できたならばこれ幸いでございます。
 えぇ、最後にリレー参加者の皆さん、色々とお知恵をお貸し頂きありがとうございました。



 


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