悪夢は再生する。
 偽りの世界に生まれるそれは、平原の戦場。
 数多の血と鋼が散る大地に、漆黒の死神が訪れる。
 撃ち込まれるミサイル、閃く敵意の白刃。
 交錯の中、鋼の巨体が弾け、空を血塗りの朱に染める。
 響き渡る仲間の悲鳴は、心を通わせた者たちの苦痛の声である。
 死という名の離別、戦場の掟――それは逃れられるはずのない運命。
 青年の心に残る一人の男の声が、気さくな仲間たちの声に重なる。
 なにも考えることができない――。
 意識が、現実を拒絶する――。
 いまだ心を責め苛んでいる傷が疼いた瞬間、自分の生命もまた死の淵に消えたかと思った――。




「……うわああぁぁあぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」




 絶叫をあげて飛び起きた青年が見たものは、いつもと変わらぬ薄闇だった。
 士官用に割り当てられたアルサレア要塞内の自室――明かりを落とした殺風景な空間には、通信用端末の放つ光が、微かに明滅を繰り返している。
 他の人間はどう思うか知らないが、部屋の主である青年――グレンリーダーにとっては見慣れた光景であり、安らぐとまではいかずとも寂しさを感じることはなかった。


「……夢……か……くっ!」


 しかし、今の彼はとても落ち着いた気分にはなれないようだ。
 片手で頭を抱え、苦しげな息と共に舌打ちする。
 全身には冷たい汗が浮かび、胸の鼓動は今にも張り裂けんばかりだ。それは犯した罪に恐れおののく罪人の姿に似ている。
 彼を知る者が見たら、あまりにも無様な姿だと思ったことだろう。


「……これが…………こんな男が、将軍の影武者……なんだからな……」


 グレンリーダーは、自嘲気味につぶやく。その口元は、わずかな苦笑を浮かべているものの、瞳は決して笑っていなかった。
 暗く蠢く感情と記憶――自分でも歯止めがきかなくなる獣のようなそれは、時に彼の心を食い破ろうとする。すべてを背負い込もうとする彼自身の責任感は、逆に彼の心を貪る魔獣となっていた。
 思わず吐きそうになるのをこらえ、気分を落ち着かせようと呼吸を整えた彼の耳に、小刻みなアラーム音が聞こえてくる。
 唐突に覚醒する意識。
 その音はグレン将軍への直通メール――今、彼が演じている影武者宛に届いたものであることを示していた。


「……こんな時間に……だと?」


 青年は、眉をひそめる。
 時計を見るまでもなく、夜はすでにふけている。
 まともな神経の持ち主なら、こんな時間にメールを寄越すような真似はしない。
 ましてこれはグレン将軍――アルサレアの最高指導者に対して送られてくるものだ。
 冗談で済まされるものでないだけに、その内容が深刻である可能性は限りなく高かった。
 嫌な予感を覚えながらベッドを降りた彼は、すかさず端末の元へと駆け寄る。


「…………アルサレア、グレン将軍宛、緊急通信……発信者は……ミラムーン共和国特使、クレスト・ウォールナー!?」


 グレンリーダー本人には馴染みのない名前だったが、ミラムーンの特使という肩書きを見るに、ただ事でないことは理解できた。
 唾を飲み込みながら、手早くメールを開く。




『――ミラムーン共和国特使、クレスト・ウォールナーです。急を要する事態ゆえ、アルサレア参謀本部を通さずに、将軍閣下の直通回線を開く事をお許し下さい。
 我がミラムーンの軍事兵器研究施設で実験中の[気化爆弾]製造装置が突如暴走をはじめるという事故が発生しました。
[気化爆弾]とは我が国で研究開発している新型兵器で、銃火器の熱エネルギーに反応し連鎖爆発を起こす霧状の高性能機雷です。
 装置を即座に停止させようとしましたが、ガードシステムまでもがコントロール不能になるという状況に陥り、我々では手がつけられない状況です。
 何者かに、制御装置を乗っ取られている可能性があります。
 貴国の協力をいただき、この事故の被害を最小限に食い止めたいのです。
 銃火器以外の特殊兵装を数多く保有し、かつ優秀なパイロットを数多くかかえるアルサレア機甲兵団ならば、この事態を収拾し、制御装置を停止できると愚考した所存でございます。
 なにとぞご協力いただきたく、お願い申し上げます――』




「!……これは……すぐに参謀本部長に知らせる必要があるな」


 文字の羅列を厳しい表情で見つめながら、グレンリーダーは眠気も悪夢も忘れたかのようにつぶやいた。
 突然のメールによってもたらされた、ひとつの事件。
 それは同盟国に起きた危機を知らせるものに過ぎなかったが、それが更なる混迷への序章になろうとは、この時、誰が知り得ただろうか。
 蠢き始めた思惑の中、戦乱は徐々に加速していく――。







 

機甲兵団J−PHOENIX

第3話「バストドゥール研究所」









「……ええっ!? 単独任務、ですか?」


 告げられた言葉を反芻しながら、フェンナ=クラウゼンは驚いたように目を見開いた。
 モニターの光に彩られたミッションルームには、圧し掛かるような重量を持った空気が満ちている。
 そう感じられるのは、居合わせた人間たちの表情が晴れなかったせいだろうか。
 新たな任務内容の確認のために集ったグレン小隊の面々は、誰もがすっきりしない思いを抱えていた。
 モチベーションを上げるには、不向きな雰囲気である。


「……まぁ、正確にはそうならざるを得ないというところだ。もっとも、今度の任地は大部隊で押しかけられないのも事実だが」


 黒髪の青年――グレンリーダーの言葉は変わらぬ落ち着きを持っていたものの、放たれた気休めは誰の心を癒すものでもない。
 わずかな間のあと、震える拳を握り締めたアイリが低い声でつぶやく。


「……ごめん、隊長……あたしたちがヘマしたばっかりに」


 いつにない彼女の表情は、いまだ消えぬ憤りと悔しさとを物語っている。
 先日の戦い――ガイドゥムラ平原でのヴァリム軍迎撃任務は、少なくともなんの問題もなく終わるはずであった。
 そう、一人の男が出現するまでは――。


「……あのカラス野郎。今度会ったら、ただじゃおかねぇぜ」


 彼女の傍らに立つキースも、表情は同じだった。
 どちらかといえばムードメーカー的な存在の彼が、こうして怒りを見せるのも珍しい。
 それだけ先の戦闘の結果がショックだったということだろう。


「過ぎたことを悔やんでも仕方がないさ。それよりも、その後悔を引きずらないことが重要だ」


 グレンリーダーは、そんな部下たちをたしなめる。
 その言葉は、自分自身に向けて発せられたようでもあった。


「俺たちは常に過酷な任務を与えられる立場にある。それはグレン特務小隊が上層部で重要視されていることの証だ。その期待には応え続けなくてはならない……」


 もっともらしい言葉を紡ぎつつも、しかし彼の脳裏にはあの時の光景がはっきりと蘇っている。


 その男は、漆黒のPF[ヤシャ]を駆って現れた。
 恐るべき威圧感と殺気をまとった姿は、まさに神話に出てくる鬼だった。経験に裏打ちされた戦術と人間業とは思えぬ操縦の腕前――その表現が誇張でないことは、誰の目にも明らかだったろう。
 無敗を誇っていたグレン小隊も、彼の前にはただの天狗の集まりだった。
 わずか数分の戦闘でキースとアイリは機体を大破させられ、グレンリーダーもまた戦闘不能に陥ったのだから。


「今回の任務に、二人の機体が間に合わないのは残念だ。しかし、現実を受け止め、次の手を考えなければ、俺たちに未来はなくなるだろう……」


 グレンリーダーは思う。
 恐らくあの男と次に相見える日も、そう遠くはないだろう。
 その時までに、自分はもっと強くならねばならない。
 大切なものを守るために――二度とあの時の悲劇を繰り返さないために、と。


「……でも、不安です。単独ということは、誰も助ける人間がいないってことじゃないですか?」


 表向きの言葉とはまったく別のことを考えていた彼を現実に呼び戻したのは、フェンナの放った一言だった。
 その瞳には、不安の光がありありと浮かんでいる。
 戦場の経験が薄い彼女にとっては、目の前の戦いこそがすべてである。というよりは、目の前の戦いしか見えていないと言うべきか。
 無論、フェンナが直接生命の危険に晒されるわけではないが、一番多くの死を見つめる立場にいるのも、また彼女なのだ。
 孤立無援の戦いをただ見守るだけというのは、新米のオペレーターにとって、まさに絶望との戦いに違いなかった。


「…………心配するな。問題ない」


 グレンリーダーは、どこか無機質につぶやいただけだった。
 元々、口下手な彼である。気の利いた台詞など望むべくもないが、新米だった頃を思い返せば多少なりとも言葉を紡げたはずである。
 それができないのは、ひとえに彼自身が余裕を持っていない証拠であった。隊長として、あまりに未熟と言うべきか。
 さすがに雰囲気がまずいと思ったのか、キースたちが助け舟を出す。


「ま、今回の目的は戦闘じゃねぇからな。いざとなったら、逃げ出せばいいだけのことさ。フェンナちゃんが思うほど、危険がてんこ盛りってわけじゃねぇ」

「……そうそう! それにうちの隊長が、そんな簡単にやられるわけないって!」

「え、ええ……」


 しかし、フェンナの顔色はやはり晴れない。
 そんな彼女の心の暗雲を払拭したのは、次に放たれた一言だった。


「……それに、隊長は一人で戦うわけじゃねぇさ……フェンナちゃんがいるだろ?」

「え……?」


 思わず目を見開いた少女の表情は、どこか間抜けに見えたかもしれない。
 それは当たり前のことでありながらも、彼女にとっては意外過ぎる言葉だった。


「確かに戦場では孤立無援かも知れないが、そんな隊長のサポートをするのが、オペレーターの役目さ……俺たちは力になれなくても、フェンナちゃんなら……なれる」

「私が……力に……?」

「そういうことだよ。もう、フェンナもグレン小隊の一員なんだから……あたしたちの分まで、隊長のフォローをしてあげて」


 アイリも、わずかに頬を緩めてフェンナに頷いてみせる。
 空元気であろうと、二人ともプロの兵士である。感情のコントロールがいかに重要なものか、実感しているのだろう。
 未熟なフェンナをフォローする意味でも、彼らは後悔を引きずっているわけにいかないのだ。


「……わかりました。私……頑張ります!!」


 しばしの逡巡を見せながらも、フェンナは力強く頷いた。
 そこには確かな戦士の――確かな仲間の表情があった。
 彼女を中心にわずかな希望の灯火が灯り、辺りの空気が和らいでいくように見えたのは、気のせいではなかったはずである。
 しかし――。



「……では、改めて作戦内容の確認に入る」



 一番みんなを鼓舞しなければいけないはずのグレンリーダーの顔には、決して温かみが戻ることはなかった――。














 雷雲がたち込めている。
 時はすでに深夜だというのに、空には微かな光の刃が舞い踊っていた。
 降り始めた雨の、地を打つ音が、雷鳴の轟きと重なる。
 世界を満たす激しくも空しい調べ。
 それが慟哭だとしたら何ゆえのものかと問いかけたくなるのは、誰の心にも同じだったかも知れない。いや、それとも自分だけか――。
 鬱蒼とした森林を歩む巨人の中で、グレンリーダーはふとした思いに駆られていた。
 それは彼の心が泣いている証だったのか。知らぬうちに迷い込んだ負の感情の迷宮は、青年の心をいまだ離さない。
 答える者は誰もなく、戦うための兵士として生まれた機械の下僕は、ただ瞳に冷たい光を宿すのみである。


《腕は立つが……この程度の罠にかかるとは未熟だな》


 屈辱の一瞬が、彼の心の中に渦巻いている。
 そして、蘇ってきた悪夢も。
 守るべき者を守れなかった後悔が、新たな現実となって襲いかかった瞬間――あれ以来、眠りに落ちなくても、血の色と絶叫とが、目を、耳を、覆うようになってしまった。
 キースたちの生命が無事だったのは、結果論に過ぎない。
 運が悪ければ、彼はまた親しい者を失うところだったのだ。最悪、自分の生命さえも――。


(……くそっ……! こんなことで悩んでいても始まらないというのに……!!)


 まさに感情は堂々巡りを繰り返している。
 わかってはいても、振り切ることができない。誰にも明かせない秘密と罪の意識とに、彼の精神は崩壊寸前とも言えた。


『……グレンリーダー……グレンリーダー……』

「……」

『グレンリーダー!!』


 よほど意識が迷い込んでいたのだろう。
 通信機から響いた声に気付いたのは、フェンナが彼女らしからぬ大声をあげた後だった。


「あ、ああ……フェンナか。すまない。どうした?」

『それは私の台詞です……いったい、どうしてしまったんですか?』

「別にどうもしていないさ。少し緊張しているだけだ……」


 とっさに出てきたのは、相も変わらず無愛想な一言だった。
 無論、フェンナにいらぬ心配をかけさせないための配慮であったが、その目論みがうまくいっていないことを彼自身、気付いていない。
 憂いの中にわずかな苛立ちを見せ、フェンナが詰め寄る。


『……嘘です。ブリーフィングの時からずっと変でした。なにか……まるで追い詰められたような顔をしています』


「……気のせいだ」


『そんなわけありません……私じゃ役に立たないかも知れないけど、なにか悩み事があるのならせめて……!』


「……君の気の回し過ぎだ。なにも問題などない」


『でも……!! わ、私は……!!』


「……気のせいだと言っている!!!」


 苛立ちが伝染したのだろうか。
 それとも、これ以上心を乱されるのが嫌だったのか――グレンリーダーの口から、いつにない怒声がほとばしっていた。
 冬の怒涛のような激しい姿に気圧されたのか、身をすくめたフェンナの様子を見て、青年はハッと我に返る。


「……すまない。怒鳴ったりして。だが、本当になんでもない……もう、作戦ポイントに到着する。フォロー……よろしく頼む」


『……わかり……ました……』


 視線を逸らしながら、彼はつぶやく。
 答えを返す少女の表情は見えなかったが、恐らくは自分に対しての恐怖心と疎外感とに彩られていることだろう。


(……俺は、最低の男だな……)


 内心で思いながらも、グレンリーダーは今の自分が、どんな謝罪をしても空々しいものになるだろうという予感を拭えなかった。











 それからしばらくは、無言の時が続いた。
 やがて、虚ろに見えた青年の瞳に意志の光が点る。
 森の奥――天を薙ぎ払う光の中、浮かび上がったのは奇怪な印象を持った構造物である。
 大きさはさほどでもないのだが、なぜかグレンリーダーの目には、それが恐るべき威圧感をかもし出しているように映った。陳腐な言い方をすれば、御伽噺に出てくる悪魔の城というところか。
 子供のような発想でありながらも実質が危険な領域であることを考えれば、間違った感想とも言えない。


「……あれか。作戦開始予定時刻までは、5分23秒……ギリギリだな」


 時計を見ながら、彼は微かに息をつく。
 バストドゥール研究所――クレスト特使の情報にあった気化爆薬の研究施設は、情報通りの場所にあった。
 侵攻も困難な森の奥深くである。秘密の施設ということを考えれば当たり前であったが、隠匿された場所であるからこそ、今回の事件にきな臭いものを感じざるを得ない。
 ただの暴走事故でなく、制御装置を乗っ取られている――それはクレスト特使の予想だったが、ここに来てグレンリーダーは、その可能性を強く意識していた。
 問題は、何者が潜んでいるのかということである。



「……考えても始まらない、か」



 小さく息をつきながら、青年はゆっくりと愛機を進ませた。
 やがて、施設の正面扉の前に辿り着く。
 手甲部から飛び出した針のような端末をドア横のコネクターに差し込むと、モニター上にコンピューターからのメッセージが表示される。




《It is come by VESTDULE Laboratory in MILA MOON. Connect OK...User Code OK...Password OK...Hatch Open 》



 同時に、両開きの扉が音を立てて開いていった。
 目の前に地下へと向かう下り坂の通路が姿を現す。



『……施設内には気化爆薬が充満しています。白兵戦で敵ガードシステムを破壊してください。火器の使用は厳禁です。目標の制御室は施設の最下層にあります』

「……了解」



 フェンナからの事務的な指示が飛んでくる。
 その声にどこか淡々と答えながら、グレンリーダーは操縦桿を強く握りしめると、施設へ足を踏み入れた。



 内部には、霧がかったような空気が立ち込めている。これが例の気化爆薬だろう。
 今回の任務に合わせ、Jファー・カスタムには特殊なカスタマイズが施されている。
 まず、気化爆薬の反応を防ぐためのサーモレス処理。これは機体そのものから放出される駆動熱を拡散させ、周囲の急激な温度変化を抑える役目を持っている。
 そして、両手に装備した白兵戦用兵器のカタナ。これはヴァリムのPFが使用していたものを研究して生まれた試作型実体剣である。
 従来の白兵戦用武器であるレーザーソードでは熱放射の関係上、誘爆の危険があったからだ。
 その他の武装は、すべてオミットされている。汎用兵器にあるまじき近接戦闘特化という、ある意味とてもストイックな装備であった。




「……? レーダーの反応が悪い?」



 数十メートルほど進んだところで、グレンリーダーは怪訝そうに目を細める。
 調べてみるとレーダーに限らず、すべての電子系機器に異常が見られる。通信機もいつのまにか使えなくなっているようだ。
 情報が少ないのでなんとも言えないが、気化爆薬が微小サイズの機雷の集合体と考えると、チャフのように電波を撹乱する効果を持っているのかもしれない。
 とすれば、状況はあまり良くなかった。外部の情報は、すべて目視が頼りということになる。
 警戒心を強めたグレンリーダーは、五感を研ぎ澄ますようにして機体を進ませる。
 やがて――。




 待ち構えていたかのように、一機のPFが彼の前へと躍り出てきた。



「ヌエ!!」



 思わず叫ぶグレンリーダー。
 愛機と同様の近接カスタマイズを施したその敵は、ヴァリム軍で正式採用されている量産型のPFヌエであった。
 それがなぜここにいるのか――考えられる理由はひとつである。



「……やはり、ヴァリムが絡んでいたのか!!」



 斬りかかってきた敵機に対し、グレンリーダーはとっさに機体を後退させる。
 ヌエの刀が宙を切ると同時にグリップ。すかさず地を蹴って距離を詰める。そのまま、相手のメインカメラに向けて横薙ぎの一閃を繰り出した。
 光と共に刎ねられた頭部が、床を転がっていく。思わず動きを止めたヌエの背中を、Jファー・カスタムは後ろ蹴りで撥ね飛ばした。
 なす術なく床に倒れ伏した相手に一瞥をくれながら、そのまま先へと突き進んでゆく。
 わずか数秒の出来事だったが、状況を判断した上で最適な戦闘行動を取れるグレンリーダーの能力は、やはり常人の域を離れていると言えた。


(……ここはすでにヴァリムの支配下も同然ということか。見事に敵地に飛び込んでしまったな……)


 下り坂の多い通路を跳ねるようにしながら、Jファー・カスタムは進んでいく。
 誘爆の危険性からブースターを使えない今、この方法が歩くよりも手っ取り早く移動できる。
 敵機のとどめを刺さずに先へ進んだのは、足を止めることで増援に包囲されるのを恐れてのことだ。
PF二機がすれ違うこともできないこの通路では、前後を挟まれたら一巻の終わりである。
 坂を下りると、緊急用の隔壁に突き当たった。守りを固めるためか、現在はすべての隔壁が閉鎖されているようだ。
 無論、開放のためのパスワードはクレスト特使から得ているので足止めにはならないものの、今のグレンリーダーには、隔壁が開くまでのタイムラグすら長いものに感じられた。
 完全に開ききるのも待たずに、ペダルをキックする。
 パイロットの意志を宿した機械の双眸が緑色の輝きを放ち、床を滑るように疾駆した。






「グレンリーダー? 応答をお願いします! グレンリーダー……!」


 その頃、オペレータールームではフェンナが通信機に向けて叫んでいた。
 一人しかいない密室に響く声は、不安に彩られている。
 無論、フェンナとてバカじゃないのだから、気化爆薬によって通信が阻害される可能性に気が付かなかったわけではない。突然、連絡が取れなくなるという事態に、慣れていないだけだ。
 もっとも、ベテランであっても慣れたいとは思わないだろうが――。



(……グレンリーダー……)



 フェンナは拳を固く握り締めた。
 コンソールを見つめながら、込み上げる不安を押し殺す。
 同時に覚える無力感――先の戦いの時もそうだったし、今もまたそうだ。
 自分は本当は、役に立っていないのではないか? 大切な人間たちが窮地に陥っている時も、見ていることしかできない自分は。
 キースたちの励ましも結局は気休めに過ぎなかったのかもしれないと思うと、不安はどんどん加速するばかりだった。


(……でも、私は……)


 それでも、彼女は任務を放棄しようとはしなかった。
 周波数を変え、音域をいじり、ノイズの中に混じる微かな音も聞き逃すまいと、注意を払う。
 それはかつて士官学校入学の時に、父から受けたひとつの教えによるものだった。


『いかな状況になろうとも、軍人は最後まであきらめてはならない』


 自分は確かに、まだ新米かもしれない。
 生命の消えゆく戦場で、なにもできずに眺めているだけの存在かもしれない。
 しかし、だからこそ目を背けるわけにはいかないのだ。
 心を繋ぐことができてもできなくても、戦う者たちの行く末を見届けるのが、自分の選んだ道なのだからと――それが、フェンナにとっての戦いだった。



「応答をお願いします。グレンリーダー……!」



 ただひたすらに声を張り上げる少女を見守るのは、電子機器の微かな光のみである――。









 敵機は突き進むグレンリーダーの前に、間を置いて現れた。
 向こうもこの研究所の構造を理解しているせいか、複数で迫ってくることはない。
 一対一の対決でグレンリーダーと互角に渡り合えるパイロットなどそうそういるものではないので、その意味では都合が良い。
 だが、長引けば状況は不利になるだけだ。迅速な施設の制圧が要求された。


(……通信機は使えないまま、か……)


 孤独な戦いの最中、グレンリーダーはフェンナのことを思い浮かべる。
 今、彼女はどんな心境でいるだろうか。
 通信が途絶したことで、不安を募らせているだろうか。
 それとも、先の自分の態度に怒りを滲ませているだろうかと――。


(……どのみち、俺は彼女に嘘をつき続けている……今更、気にしても仕方のないことか)


 グレン将軍の死を隠すのみならず、さも生きているかのように影武者を演じ続ける。
 将軍の実子であるフェンナに対して、それは最大の裏切り行為だ。
 にも関わらず自分は彼女に対して、仲間のように振舞ったり、気遣ったりしている。
 そんな偽善の関係を修復するよりは嫌われたままでいるほうが、よほどまともな関係というものなのかもしれない。



(……やはり、俺はひどい男だ…………)



 どこか他人事のように目の前の敵機を屠りながら、グレンリーダーは進み続ける。









 それから、どれほどの時が経ったのであろうか。
 孤高の戦いの中、代わり映えのしない景色を眺めながら辿り着いた先は、薄暗くも広大な空間であった。
 扉が開いた瞬間、低く響き渡ってくる駆動音――その威圧的な響きをコクピットで聞きながら、グレンリーダーは視線を巡らせた。
 モニターを通して彼の目に映っているのは、数多の光を明滅させてたたずむ巨大コンピューターである。
 アルサレアの中枢でも、なかなかお目にかかれない規模のものだ。
 気化爆薬という得体のしれないものを制御するのだから当たり前といえたが、辺境の研究所にはあまり似つかわしくない。



「ここが制御室か……」



 機体をゆっくりと進ませながら、グレンリーダーは計器類をチェックする。
 先ほどまでと違ってこのエリアに入った途端、電子機器がまともに作動するようになった。外から入ってくる映像もクリアに映っている。
 恐らくはここが制御中枢だからだろう。気化爆薬そのものが、散布されていないということらしい。


(……それにしても妙だ……警備の者すらいないとは……)


 彼が訝しげに眉をひそめたのとほぼ同時に、通信機から聞き慣れた声が聞こえてきた。


『……グレンリーダー! 応答してください!!』


 言わずと知れたフェンナであった。どうやら通信機能も回復したようだ。
 恐らくは、このエリアに電波を中継するシステムがあるのだろう。地下深くの割には鮮明な音声だった。
 ただ、その声は少しかすれているようにも聞こえる。音信不通の間、ずっとこちらへの呼びかけを続けていたのだろうか。
 それを思うと、グレンリーダーは胸を締め付けられるような気持ちになった。



「……こちら、グレンリーダー……聞こえている」

『グレンリーダー! ご無事なんですか?』

「ああ。気化爆薬の影響で電子関係があらかた死んでいたが、なんとか最下層に辿り着いた」



 バツの悪さと、そして先ほど思ったこととが相まってか、彼の口調は非常に淡々としたものだった。
 他人を寄せ付けない雰囲気というべきか。ケンカのような状態にあったとはいえ、フェンナも彼の豹変ぶりに、やや困惑しているようだ。



「で……これからどうすればいい?」

『あ、はい……そのまま、中央の制御装置に近づいてください。あとの操作は、こちらで受け持ちます』

「了解。よろしく頼む…………ん? レーダーに反応……?」



 棒読みゼリフのような会話をしていた二人だったが、突然グレンリーダーの目に鋭い輝きが宿った。
 視線がレーダーに集中したのとほぼ同時か。外部から張りのある男の声が聞こえてくる。



『迂闊な奴だぜ!! おとなしくオネンネしなぁ!!』



 とっさに回避行動を取ったグレンリーダーだったが、わずかに間に合わない。
 フレームを揺さぶる鈍い衝撃にコクピットが揺れ、機体が後ろに流される。
 彼は思わず苦痛の声を漏らしていた。


「ぐっ!! しまった……こいつが……親玉か!!」

『グレ……リ…ダ……ッ…!!』


 フェンナが叫ぶが、その音声は途中でぶっつりと途切れる。
 今のダメージで再び通信系統に異常が発生したらしい。モニターの一部が消え失せるが、今はそれを気にかけている余裕はない。



『地獄へ行きなあぁぁ!!!』


 迫ってくる敵を確認したグレンリーダーは、すかさず戦闘態勢へ移行する。
 相手は今までと同じヌエだったが、手にした武器がまるで異なっていた。
 棍棒、と呼ぶべきか――長さこそPFの腕くらいのものであったが、膨らんだ先端部は相当な重量と硬度を持っているようだ。
 そして、リーチの短さを補うかのような振りのスピードも、その破壊力を倍加させていた。
 後退するJファー・カスタムの鼻先を、巨大な得物がかすめていく。一瞬、鋭い風が巻き起こったようだった。


(!? 速い……!)


 グレンリーダーの顔に、微かな焦燥が浮かぶ。
 相手は通常のヌエとは思えないスピードで、距離を詰めてきた。
 ブーストを使わずとも、かなりの速度が出ている。恐らく、高性能なレッグモーターが搭載されているのだろう。
 Jファー・カスタムの装備しているカタナは、振り下ろすまでに時間がかかる。棍棒よりリーチはあるものの、接近されるとその長さを生かし切ることができない。
 加えて、この限定空間である。通路ほど狭くはないものの、回避行動も制限される。


『クックッ……この俺様から逃げられると思うかぁ!!』


 突然、後頭部を殴られたような衝撃が走った。
 後退した先で、壁にぶち当たったらしい。動きが一瞬止まった隙を狙って、ヌエが一気に距離を縮める。
 迫る棍棒をとっさに左のカタナで受け止めたものの、勢いを殺し切れず、横殴りに吹っ飛ばされる。 全身をシェイクされたような感覚がくる。遅れて、乾いた音が辺りに響き渡った。


「く……そっ……!」


 痛みをこらえてモニターを見ると、左の刀身が根本から折れてしまっている。
 元々試作型のカタナだったとはいえ、それを易々と折るとは、侮れない威力である。
 追撃をかわすべく、グレンリーダーは体勢を立て直すと同時に跳躍行動。
 間一髪――Jファー・カスタムの真下で、ヌエが旋風を巻き起こす。


(……どうする? 気化爆薬の影響がなくなったとはいえ、この装備ではどのみち接近戦をするしかない……!)


 離れた地点に機体を着地させたものの、彼は攻め手を欠いている状態だった。
 荒い息をつきながら操縦桿を握るが、再び迫りくる敵に対しては逃げ惑うだけである。



『ちぃっ!! チョロチョロと逃げ回りやがってぇぇ!!』



 それでも冷静に戦えば、活路を見出すのは難しくなかったかもしれない。
 だが、今のグレンリーダーは正常な精神状態にあるとは言えなかった。それは恐らく、彼自身も気付かなかったに違いない。
 吐露できない秘密、そして単独任務という環境――内と外の両面において、孤独の戦いに身を置き過ぎた代償が今、襲ってきたのである。



『死ねえぇぇぇぇぇ!!!!』



《……私の死は……内密に……》



 ひとつの言葉に、忌まわしき記憶が呼び起こされる。





『甘ちゃん野郎がうあぁぁぁぁ!!!』



 敵の声に、あの男の声が重なっていく。



《未熟だな》




「!?……くっ……!!」




 一瞬、目の前を赤い膜が覆ったようだった。
 レッドアウト、とは違う。強いて言うなら、イリュージョンアウト。
 忘れ得ぬ過去の生み出した幻覚が、彼の注意力を一瞬、奪い去る。




『もらったああああああぁぁぁぁああぁぁ!!!!』




 そして、次に襲ってきたのは、先ほどよりも更に激しい衝撃であった――。



「……うあぁぁぁぁあぁぁぁぁっっ!!!!」




 音を立てて壁面に叩きつけられるJファー・カスタム。
 腹部に炸裂した棍棒の一撃が、精密な内部の機器を破壊する。
 コクピットに火花が散り、動作不良に陥った機体が黒煙をあげて、跪くように片膝をついた。


『へっへっへ……思い知ったか。この甘ちゃんがぁ……!!』


 コクピットの内壁に頭をぶつけたグレンリーダーは、軽い脳震盪を起こしている。
 まるで二日酔いのように周囲の景色が歪み、思考がまとまらなくなっていた。
 完全に動きを止めたJファー・カスタムに、ヌエが悠然と歩み寄ってくる。




(…………このまま、終わるのか……?)



 混濁した白い意識の中で、グレンリーダーは思う。



(……俺は……この程度の男だったのか?)



 なにも存在しない世界で、彼は一人思う。



(将軍の影武者としても、隊長としても未熟で……大切な者たちを守ることもできない……)



 これまで自分のしてきたことに、どんな意味があったのか。
 結局、すべては独りよがりで、自分の思ったほどの結果も残せていなかったのではないか。
 そして、数多くの人間を苦しめただけじゃないか――。



(……このまま……消えるのが……俺の……)



 たくさんの後悔が蘇り、無力感、虚脱感が全身を包んでいく。
 すぐそこまで自分に迫っている危機も、どこか他人事のように感じられる。
 渦を巻く思考の中、すべてが億劫に思えてきたその時――。




『……グレンリィダァァァッッ!!!』





 鮮明で鮮烈な声が、彼の耳に届いた。




(この……声、は……)




 聞き違えるはずもない声だった。
 自分が最も傷つけているはずの少女、フェンナ=クラウゼン――しかし、その声には不信もなにもなく、ただ彼の心を揺さぶる強烈な響きがあった。




『立って!! 戦ってください!! グレンリィダァァァァァァーーーーッッ!!!』




 刹那、なぜか意識がはっきりとするのがわかった。
 目と耳が瞬時に外界の情報を取り入れ、腕が、足が、全身が次に行うべき動作をコンピューターのように最適化して行う。
 低い唸りを漏らしていたJファー・カスタムが再び動き始め、消えていた瞳が緑の閃光を放った。
 それはわずか一秒ほどの、あり得ないスピードでの機能の復活だった。



「……ぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおっっ!!!!」



 雄叫びが室内を満たし、主の意志を受けた機体が、手にした鋼鉄の刃を真正面に突き出した。
 目前まで迫っていたヌエの胴体に、その白刃が吸い込まれていく。
 金属を貫く衝撃と甲高い音。
 そして、真っ赤な鮮血が突き立った部分から溢れ出た――。



『……ぐがあはっ!! バ、バカな……きさ……まあああああ……ぁぁあぁぁぁぁぁ……ぅぉぅぁぁ……!!!』




 ヌエパイロットの断末魔が響き渡る。
 振りの速度が遅いカタナで、棍棒に勝つ唯一の手段――それは刀剣でこそ可能な刺突であった。
 だが、生半可な一撃では、ヌエの突撃を止められない。
 必要なのは、確実に相手を葬る一撃――すなわち、コクピット狙いの攻撃のみである。
 もちろんそこに、情やためらいなど存在しない。
 あるのは非情なる戦士の心。戦いに身を置く人間が持ち得る鋼の意思――。
 それを持つという意味において、グレンリーダーは決して甘い男ではなかった。




(……身体が勝手に動いた……? いや、違う……なぜ、俺は……?)




 それでも彼は、自分のしたことを理解できないでいた。
 殺したくなかったなどという青臭い感情論でなく、自分自身が、なぜ、そう動いたのかがわからなかったのだ。



『グレンリーダー……!? グレンリーダー!! だいじょうぶ!? 応答して!!』



 しかし、その謎もすぐに氷解する。
 通信機から聞こえてきたフェンナの声が、すべてを物語っていた。



(……そうか。彼女の……そういうことか……)



 彼は一人納得すると、荒い画像を結ぶモニターに向けて返答する。




「……こちらグレンリーダー。敵機撃破……だいじょうぶだ。問題ない」

『グレンリーダー!? ご無事なんですね!? 良かった……!』



 安堵したような少女の瞳には、わずかに涙の跡が見えた。
 口で言うほど無事ではなかったものの、あえてグレンリーダーは微笑みを浮かべてみせる。
 それは彼なりの心遣いであると同時に、フェンナへの感謝の気持ちでもあった。
 あの声がなければ、少なくともこうして生きてはいられなかったはずだから――。


「制御装置に向かう……あとは頼むよ。フェンナ」

『あ……は……はいっっ!!』



 もう先ほどまでの不信感は忘れてしまったのか、フェンナもまた明るい笑みを浮かべてみせる。
 それは傍目には、信頼関係の回復した人間同士に見えたかもしれない。
 しかし、実質は違う。恐らくはグレンリーダー自身しか気付いていない真実――。
 彼は機体を操作しながら、文字通りの屍となったヌエのほうへ目をやった。



(……確かに俺は甘いのかもしれない。過去に囚われ、無様に涙を流し続けるこの俺は……)



 もはや生きているはずもないヌエのパイロットに、彼は心の中でつぶやく。
 罪を背負い、苦悩を背負い、心を闇に喰われかかった自分は弱い存在なのだと――。



(それでも、まだ死ぬわけにはいかないようだ)



 しかし、そんな彼の中にも強固な心が――戦士としての非情さがあった。
 その非情さを生み出す基となったのは、彼自身の中にある最後の善意ゆえだ。
 フェンナの声は、確かに自分を心配するものであったかもしれない。彼女としても、それ以外の思いはなかっただろう。
 だが、あの瞬間――グレンリーダーを突き動かしたのは、あきらかに少女の姿を借りた運命の女神の声だった。


 まだ、お前は死ぬには早いと――。

 生きて苦しまねばならないのだと――。


 それは決して救いではなかったのである。
 彼はこれからも決して仲間と共有できない罪の意識を背負いながら、戦い続けなくてはならないのだ。



(そう……彼女が、許してくれるまで、俺はまだ死ぬことができないんだ……)




 いつか真実を語るその日まで。

 その真実を耳にした少女が、自分に断罪の刃を振り下ろす日まで――。





 任務を終えたはずの彼の顔に安堵はなく、ただ、赦しを待つ咎人の表情のみが刻まれていた。






〜第三話 了〜

 



 後書き

 どうも、リレー小説第三話を担当いたしました双首蒼竜です。
 二話から凄まじく間が空いてしまいました(滝汗)。まずはお詫び申し上げます。
 いやはや、リレーってのは難しいものです。そもそもストーリー的には重要でないはずの第三話が、なんでこんなに重くなってしまったのかというと、すべては前の話の展開ありきなわけですね(爆)。
 こりゃ、あとに続く人は地獄ですな(核爆)。

 こんな遅筆な男を待ってくださった方々、どうもありがとうございました。
 次の方に期待しましょう(苦笑)。



 


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